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蘇州スクールバス殺傷事件に対する中国当局や国民の反応を考察する

飯田和郎

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中国・江蘇省蘇州で6月24日、日本人の母子が中国人の男に刃物で切り付けられた。母子に命の別条はなかったが、男に刺されたバスの案内係の中国人女性が死亡した。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長が7月4日、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演し、この事件から中国社会、中国の国家体制を考察した。

観光地・蘇州で起きた痛ましい事件

中国・蘇州は市内に水路が巡らされ、風光明媚な「運河の街」として知られる。上海に近く、日本でも有名な観光地だ。日系企業の進出も目立つ。

蘇州の観光地・山塘街

事件の概要から説明したい。母親と就学前の男児は、日本人学校からスクールバスで下校する児童、つまり男児の兄を待っていた。バスが到着すると、男が突然刃物を取り出し、この母子に切りつけた。さらに男はバス案内係の中国人女性も刺した。バスの中国人運転手らによって取り押さえた容疑者の男は52歳。蘇州へ出稼ぎに来ていて、犯行当時、失業していたという。

母子の命に別条はなかったが、案内係の女性が2日後に死亡した。この女性は、蘇州市内に住む胡友平さん54歳。胡さんはバスに乗り込もうとする男を阻止して被害に遭った。自宅と日本人学校の間の登下校のために児童や生徒たちが利用しているスクールバスには中国人スタッフが添乗している。それが被害に遭った胡さんだった。

中国の日本人学校に存在する特殊要因

家族と一緒に海外で暮らす子供たちは、滞在先に日本人学校がある場合、多くはその日本人学校で学ぶ。文部科学省によると、2024年4月現在、文科省が認定した在外教育機関として、日本人学校は世界50の国と地域に、94の日本人学校がある。中国には蘇州も含めて15の日本人学校が存在する。

日本人学校は、主に小学生と中学生が在籍している。文科省から派遣された日本人の教員によって、児童・生徒は基本的に日本国内と同じ内容の教育を受けることができる。

国によっては治安の問題もある。特に子供たちの安全確保は最重要だ。中国は比較的、治安がいいが、点在する自宅と、日本人学校の間は、スクールバスを利用するケースが多い。ただ、中国にある日本人学校の場合、特殊な要因も存在する。

日本と中国の関係が、日本人学校の運営に映し出されることがある。日中関係がこじれ、中国社会において反日感情が高揚した場合だ。かつて北京や上海のような主要都市で、大規模な反日デモが起きて、大使館や領事館、さらに日系企業のオフィスや店舗が破壊された。そんな状況になれば、子供たちが日本人学校に登校できるだろうか。子供たちが乗ったスクールバスも標的になる可能性・危険性がある。そうなると、バスは運行できず、学校の臨時休校になるケースが何度もあった。だから、中国にある日本人学校では、「中国に存在する学校だから」という個別の問題もある、というわけだ。

沈静化を図ろうとする中国当局

6月24日に蘇州で起きた事件でいうと、警察は「偶発的な事件」だと判断している。さらに中国の外務省は「反日感情とは無関係」と説明している。

この事件から2週間前の6月10日、中国東北部・吉林市内の公園で、アメリカ人の教員ら4人が、やはり刃物を持った男に襲われ、負傷した。教員たちはアメリカの大学から中国の学生向けに勉強を教えるために訪中していた。容疑者の中国人の男は失業者とされている。

このアメリカ人が襲われた事件、それに蘇州で日本人母子が襲われた事件。アメリカとの関係や、日本との関係が影響しているとは、私は思わないし、思いたくない。ただ、アメリカ人への切りつけが起きた直後に、日本人母子を切りつける事件が続き、中国当局はピリピリしているだろう。

蘇州での事件で逮捕された男は、社会に対する不満を持っていて、それが動機とみられている。日本メディアの報道によると、現地の捜査当局が日本政府にそう伝えたようだ。容疑者の人物像については「別の町から蘇州に出稼ぎに来たものの、仕事や家族がなく孤立感を深めていた」と説明している。つまり「外国人、日本人を狙った犯罪ではない」ということだ。アメリカ人を襲った吉林での事件と同じ説明だった。

この説明を疑うわけではないが「事件の起きた街の者ではない、犯人はよそ者」「社会全般への不満が犯行動機」ということを強調している。街の安全性や、排外的な感情といった懸念から、遠いところ遠いところで、鎮静化を図ろうとする意図を感じてしまう。

SNS上にあふれる反日感情

一方で、蘇州の事件では犯行直後、ソーシャルメディアで凶行に及んだ容疑者を賞賛する声があふれた。反日、それに偏った愛国心の名を借りて犯行を美化する内容だ。身を挺して亡くなった中国人女性については「日本のスパイだった」とか、負傷した日本人母子を指して「ざまあみろ」といった書き込みもあった。

こんな心ない人間は、残念だが、どこにもいる。中国でもごく一部だと信じる。これら書き込みは当局によって削除され、特に過激な内容についてはアカウントが閉鎖された。

今回の事件では、スクールバスの案内係、胡友平さんが犯人に刃物で刺され、亡くなった。報道によると、「もしあの時、犯人を止められなかったら、もっと多くの被害者が出ていた」と目撃者が話しているという。

尊重したい“純粋な思い”

中国のSNS上では、事件当時の映像が拡散されている。バスの乗降口の前の路上で、倒れ込む胡友平さん。それを懸命に介抱する人たちの映像だ。胡友平さんの死を悼み、その行為を賞賛する動きが中国と日本で広がった。地元・蘇州の市役所は7月2日、「正しい行動を勇敢に実行した行為」と認定し、胡さんに「模範的行動をした市民」として称号を授与した。

「中国人の誇り」「中華民族の誇り」といえば、習近平主席が進めてきた路線に沿っている。中国国内・国外の中国人社会からは、胡さんを「市民の模範」、または「英雄」にするような当局に、政治利用ではないかと疑問を投げかける声も出ている。ごく普通の市民を突然、ヒーロー、ヒロインにまつり上げて国民の模範にして、中国人の誇りをかき立てるようなやり方がふさわしいのか。亡くなった彼女自身がそれを喜んでいるのか――という問いかけのような気がする。

想像だが、亡くなったバスの案内係、胡友平さんは、毎日、顔を合わせる日本人の児童・生徒たちを愛していたはずだ。子供たちもバスを乗り降りする時に、片言の中国語で「ニイハオ」「謝謝」「再見」の言葉をかけ、小さな日中交流を繰り返していたのだろう。だから胡さんは危険を顧みず、子供たちを守ろうとしたはず。その純粋な思いこそ、我々は尊重したい。

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この記事を書いたひと

飯田和郎

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。