「なぜ原爆は広島に?」疑問解くカギは船…陸軍司令官の視点で見る戦争
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敗戦からまもなく79年。戦争の秘話を掘り起こし、等身大の人間の物語を紡いできたノンフィクション作家の堀川惠子さんが6月、福岡市で大学生たちと語り合った。RKB毎日放送の神戸金史解説委員長が7月23日に出演したRKBラジオ『田畑竜介Grooooow Up』で、そのときのもようを紹介した。
学生たちが読み込む「戦争」ノンフィクション
暑い夏が来て、また戦争のことを考えることも多くなる時季ですが、6月6日に西南学院大学で開かれた読書教養講座(主催=西南学院大学、活字文化推進会議、主管:読売新聞社)で、ノンフィクション作家の堀川惠子さんが講演しました。
堀川さんは1969年広島県生まれで、広島テレビの記者を経て、ノンフィクション作家になっています。作品は、講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、早稲田ジャーナリズム大賞などなど、次々と受賞していて、ひとことで言えばすごい人です。
【堀川惠子さん】1969年広島県生まれ。広島テレビ記者を経て、ノンフィクション作品を次々と発表。『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』で講談社ノンフィクション賞、『裁かれた命―死刑囚から届いた手紙』で新潮ドキュメント賞、『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』で大宅壮一ノンフィクション賞と早稲田ジャーナリズム大賞、『戦禍に生きた演劇人たち―演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』でAICT演劇評論賞、林新氏との共著『狼の義 新 犬養木堂伝』 で司馬遼太郎賞を受賞。
西南学院大学国際文化学部・柿木伸之教授ゼミの大学生3人が、それぞれ堀川さんの著書を読み込み、書いた本人と意見を交わすというイベントでした。
(1)『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』(担当:柴田純一郎さん)
(2)『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』(担当:吉田礼嘉さん)
(3)『戦禍に生きた演劇人たち―演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』(担当:福崎彩乃さん)
陸軍に「船の司令官」がいた!
今日はそのうち、『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』を紹介します。第12回広島本大賞・第48回 大佛次郎賞の受賞作で、堀川さんと担当した大学生・吉田礼嘉さんの意見交換です。その前に、まずはこの歌を聴いてください。
♪空も港も夜ははれて 月に数ます船のかげ
端艀(はしけ)の通いにぎやかに 寄せくる波も黄金なり
私が小学生の時に習ったこの文部省唱歌『港』は、広島市の宇品(うじな)港の様子を歌っています。宇品には、陸軍船舶司令部、通称「暁部隊」がありました。“陸軍の船舶司令部”何か違和感がありますね。
実は日本の場合、戦地へ兵隊や物資を運んだのは、海軍ではありませんでした。陸軍が海洋運搬業務全般、つまり補給と兵站を担ったのです。ただし陸軍なので輸送船はなく、民間から船と船員をセットで借り受ける形でした。これは世界的にも珍しい形態で、陸軍の船舶司令部は「船と船員を持たない海運会社のようなもの」だった、ということです。
「何とかなる」精神論で突き進んだ日本
このノンフィクション作品『暁の宇品 陸軍船
舶司令官たちのヒロシマ』の内容を、この本を読みこんだ吉田さんの説明でお聴きください。
吉田礼嘉さん:この本は、「なぜ人類初の原子爆弾は広島に投下されなくてはならなかったか」という疑問を突き詰めることから出発しています。アメリカが広島原爆投下候補地として選んだ理由。それは、広島に日本軍最大の輸送基地である軍港・宇品があったからでした。
吉田礼嘉さん:長年、船舶輸送の世界を牽引し「船舶の神」と呼ばれるも、開戦に反対したことで罷免された田尻昌次をはじめ、船舶参謀として開戦から終戦まで歩んだ篠原優、宇品最後の船舶司令官として太平洋戦争下を生き、原爆投下後に船舶部隊を直接指揮して広島の救援・救護にあたった佐伯文郎という陸軍船舶司令部の3人の軍人が残した未公開資料などをもとに、命がけで輸送し、最後には餓死していった船員たちの姿、「何とかなる」の精神で突き進んだ軍隊、太平洋戦争の破綻の構造、最終的に宇品ではなく広島の繁華街が原爆投下地点となった背景が、宇品の歴史とともに描き出されるノンフィクション作品となっています。
吉田礼嘉さん:この本で一番印象的で、同時にこの本の焦点でもあると感じた部分が「何とかなる」という精神論で突き進んだ軍隊や政府の姿勢にあります。この「何とかなる」という姿勢は現在の私たちにも当てはめる部分があるのではないか、と読んでいて感じました。「自分たちは何とか平和に生きられるのではないか」「何とかなるだろう」という思いが私たちにはあるように感じています。
堀川惠子さん:もうなんか、すごいですね…正直びっくりしています。とても深く読んでくださって、私が「ここを伝えたい」と思ったところをまさにドンピシャで伝えてくださっていて、本当に感動しています。
『暁の宇品』について語る吉田礼嘉さん(右)
敗戦の2年近く前にはすでに破綻
私もこの本を読んで、気付かされました。軍は民間から船員ごと借り受けるわけですが、民間の船は普段、国外から国内へ、国内から国内へと資源を運んでいます。でも、軍がどんどん徴用してしまえば、資源を運ぶ船が足りなくなり、兵器も増産できなくなります。民間の船が減ったら、国民が生活を我慢すればいいというものではないのです。
なのに、軍は「何とかなる」とどんどん借り上げてしまいました。武装も間に合わず、護衛する海軍もいない借上船は、どんどん撃沈されていきます。敗戦のすでに2年から1年前には、南方から資源を運ぶことはほぼできなくなりました。「国力」という観点から、この段階で戦争の構図は決定的に破綻した、と堀川さんは見ています(293ページ)。
堀川惠子さん:やっぱり日本という国は「島国」、周りが全部海なんですね。国境線を持っていません。だから外に出る時は、必ず船が要ります。もちろん飛行機は使えますけれども、輸送力の点では船しかない。ということは、戦争になった時に、船がなければ戦えない国なんですよね。物を運ぶだけではなくて、外から物を運んでくる必要もあるわけです。
堀川惠子さん:吉田さんがおっしゃった「何とかなる」という言葉。本書の主人公である田尻昌次という陸軍船舶司令官が、日中戦争の時代から日本は船が足りてなかったので、非常に大雑把な言い方をすれば「もうこのままだととてもじゃないけれども、国民の生活が干上がっちゃうよ」「これでさらに太平洋戦争なんて起こしたら、負けるに決まっているじゃん」と軍に進言したことによって、本当に罷免されてしまう。でもこれって考えてみたら当たり前のことなんですよね。
堀川惠子さん:それでも太平洋戦争に進んだ。確かに船はない。今もし戦争が起きて海上封鎖でもされたら、今自分たちが持っている石油は1年半しかもたない。「1年半しかもたないんだったら、今叩いておかないと大変なことになる」という逆の論理を使って、「ま、やれば何とかなる」と、吉田さんがお伝えくださったような形で進んでいきました。でもなんとかはならなかった。「外から物を運んでくる」という視点で考えれば、最初から勝てっこない戦だったことは、後から見ればわかるんだけれども、渦中に身を置いて当時から「勝てない」と言っていたのが田尻中将であった、ということです。
頭がいいはずのエリートたちが、どうしてこんな愚かな判断をしてしまったのでしょうのか。誰もがわかっていても発言できない雰囲気があったのだろうと思います。
輸送に決定的な弱点を持つ島国・日本
そして、現在の日本について堀川さんはこう話しています。
堀川惠子さん:吉田さん、戦争が始まらなくても海峡をいくつか封鎖されるだけで、日本に船は入って来なくなりますね。そうすると、石油はどのぐらいもつと思います?
吉田礼嘉さん:ちょっと見当がつかないんですけれども…。石油…半年ぐらい?
堀川惠子さん:かなりいい線行っています。日本国が備蓄している石油は、時々によって変わるんですが、二百数十日ぐらいと言われています。だから、太平洋戦争開戦時よりも、我々の国はより厳しい状態に置かれていることは、数字からも明らかです。
堀川惠子さん:船に関しても、吉田さんが紹介してくれたように、当時は一生懸命民間の船員さんたちが命を賭けて日本のために物資を運ぼうと頑張ってくれたんだけれども、今、日本の船員がどのぐらいいるか。日本船籍の船に乗っている船員の90%以上は外国籍の方々です。「日本のために命をかけて物を運びます」なんて言ってくれる人は、いないんですよね。周りを全部海に囲まれている日本というのは、「戦争したくてしたくてたまらなくても、戦争のできない国なんだ」というのが、本を書いた私なりの大きな結論の一つです。
堀川惠子さん:だから、もちろん最低限の自衛はしなくてはならないし、準備をすることはしなくてはならないのだけれど、一番大事なのは「どう戦争をやらないで済むかを考えること」。それは、自衛隊とか防衛省だけにお願いすることではないですよね。お隣に物騒な国がいっぱいあって、ミサイルみたいなのが飛んでくるし、とても嫌なんだけれども、ただ単に戦って「あいつら悪い」「あいつら嫌だ」と言うだけでいいのか――そういうことも多分問われてくる。これを書いたときに私が思ったのは、「戦争できない国だな」「戦争やっても勝てない国だな」「じゃあどうしたらいいんだろう」。これをみんなに考えてほしいなと思って。
言われてみればもっとも、という気がします。敵基地先制攻撃の話もありますけど、その後はどうなるのか含めると、「日本は決定的な弱点を持っている」ということが実は前回の戦争の一番大きな教訓だったかもしれない。その点について、陸軍船舶司令部に光を当ててしっかりと浮き彫りにしたこの本は、本当に説得力がありました。
『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』
堀川惠子著(講談社、税別1900円)。
広島の軍港・宇品に置かれた、陸軍船舶司令部。船員や工員、軍属を含め30万人に及ぶ巨大な部隊で、1000隻以上の大型輸送船を有し、兵隊を戦地へ運ぶだけでなく、補給と兵站を一手に担い、「暁部隊」の名前で親しまれた。宇品港を多数の船舶が埋め尽くしただけでなく、司令部の周辺には兵器を生産する工場や倉庫が林立し、鉄道の線路が引かれて日々物資が行きかった。いわば、日本軍の心臓部だったのである。
日清戦争時、陸軍運輸通信部として小所帯で発足した組織は、戦線の拡大に伴い膨張に膨張を重ね、「船舶の神」と言われた名司令官によってさらに強化された。とくに昭和7年の第一次上海事変では鮮やかな上陸作戦を成功させ、「近代上陸戦の嚆矢」として世界的に注目された。しかし太平洋戦争開戦の1年半前、宇品を率いた「船舶の神」は志なかばで退役を余儀なくされる。
昭和16年、日本軍の真珠湾攻撃によって始まった太平洋戦争は、広大な太平洋から南アジアまでを戦域とする「補給の戦争」となった。膨大な量の船舶を建造し、大量の兵士や物資を続々と戦線に送り込んだアメリカ軍に対し、日本の参謀本部では輸送や兵站を一段下に見る風潮があった。その象徴となったのが、ソロモン諸島・ガダルカナルの戦いである。アメリカ軍は大量の兵員、物資を島に送り込む一方、ガダルカナルに向かう日本の輸送船に狙いを定め、的確に沈めた。対する日本軍は、兵器はおろか満足に糧秣さえ届けることができず、取り残された兵士は極端な餓えに苦しみ、ガダルカナルは餓える島「餓島」となった。
そして、昭和20年8月6日。悲劇に見舞われた広島の街で、いちはやく罹災者救助に奔走したのは、補給を任務とする宇品の暁部隊だった――。
軍都・広島の軍港・宇品の50年を、3人の司令官の生きざまを軸に描き出す、圧巻のスケールと人間ドラマ。多数の名作ノンフィクションを発表してきた著者渾身の新たなる傑作。
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この記事を書いたひと
神戸金史
報道局解説委員長
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。