PageTopButton

山笠・路面電車 “昭和の博多”を歌ったチューリップの2曲を読み解く

RKBラジオ『立川生志金サイト』のコメンテーター、潟永秀一郎・元サンデー毎日編集長はかつて作詞家を志望していた。そこで毎月一回お送りしているのが「この歌詞がすごい」という解説コーナー。今回は7月に始まる「博多の夏祭り」博多祇園山笠を目前に控え、チューリップが博多を歌った2曲の歌詞を読み解いた。  

デビュー50周年を迎えた福岡を代表するバンド

もうすぐ7月。月が替われば、博多は祭りの季節。「山笠」ですね。それともう一つ、今年2022年6月は、福岡を代表するバンド・チューリップがデビューして50周年の、記念すべき月でもあります。

 

チューリップはちょうど50年前、1972年6月「魔法の黄色い靴」でメジャーデビューして、翌73年に出した「心の旅」の大ヒットで一躍人気バンドになったのは、皆さんご存じの通りです。

 

そんなチューリップの曲で今回解説したいのは「博多っ子純情」です。1977年に発売された8枚目のアルバム「WELCOME TO MY HOUSE」(ウェルカム トゥ マイ ハウス)の収録曲で、作詞は安部俊幸さん、作曲は姫野達也さん。オリジナルメンバー5人は全員、福岡出身で、作詞した安部さんは、香椎高校で財津さんの二つ後輩でもありますが、8年前、2014年の七夕に、住んでいたインドで病死されました。そのこともあっての、今日の選曲です。

 

ちなみに、「博多っ子純情」は長谷川法世さんの漫画で有名ですが、この曲、完成後に、リーダーだった財津和夫さんが長谷川さんに直接お願いして、曲名に使わせてもらったそうです。ついでに、わたくし事で恐縮ですが、福岡在勤中、長男の2つ上の学年に姫野さんの息子さんがいらして、運動会で姫野さんをお見かけしたときは感動しました(笑)。

 

本題の歌詞です。1番は、いわゆる「山のぼせ」の男たち、2番は、中洲の夜の女性たちを、ある意味、典型化して、博多の「人情」を伝えます。それぞれ

男達はとても見栄っ張りで気が強い

海の風に吹かれるから

だけどみんなすぐに貰い泣きするような奴

酒を飲んで肩をたたく
とか

夜の女達は気まぐれで移り気だよ

紅をさして男誘う

だけどいつか愛が欲しいと春吉橋で

人に隠れ涙流す
とか、ですね。

 

「ジェンダーレス」が進む今の世相にはそぐわないかもしれませんが、私が知る限り、中洲の女性も含めて、この歌詞を嫌った人はいませんでしたし、むしろ「そうやな」「そうなんよ」と、うなずく人が多かったですね。これは、博多っ子である安部さんだから、押さえられた機微かもしれません。

 

デビューを機に、ふるさと福岡を離れて上京し、「心の旅」のヒット以降は、北海道から沖縄まで年間100本近いライブをこなして、「旅が暮らし」だった70年代のチューリップ。この歌はそんな中で書かれた、安部さん自身の郷愁だったでしょうし、それは時代を超えて、私のように博多で数年を暮らしただけの者にも、しみじみと懐かしく沁みます。

路面電車や海水浴場があった昭和の博多の風景

そんなチューリップの歌をもう1曲。財津和夫さん作詞・作曲の「夕陽を追いかけて」です。「博多っ子純情」の翌年、1978年に発売された14枚目のシングルで、「心の旅」や「青春の影」のようにヒットはしませんでしたが、私は高校生のときコンサートで聴いて、グッときました。スタジオ録音より、ぜひライブ盤で聴いてほしい「隠れた名曲」です。

 

これもまた、旅を続ける中、遠くなったふるさとを歌った曲で、東京から福岡へ向かう飛行機の中で、まずタイトルが浮かんだそうです。

 

これは夕方、羽田から福岡へ向かう飛行機は、まるで夕陽を追いかけるように飛んでいきますよね。財津さんも「沈む夕陽を追いかけた先には、故郷の福岡がある…」という思いから、この歌が生まれたといいます。

 

さて、その歌詞ですが、福岡が都会になる前の、昭和の風景をご存じの方なら、なお胸に迫ると思います。例えば1番。

体をゆすって 走ってた

路面電車は 今はもういない
とか

好きだった人 永く見送った

後ろ姿に 似合ってた

あの海辺の道 今は車の道
とか。

 

海辺を走っていたのは西鉄の路面電電車「貫通線」。かつての九大前から、天神、西新を抜けて姪の浜に至る路線で、1975(昭和50)年に廃止されました。

 

財津さんは昭和23年の生まれで、西南学院大学の出身ですから、在学中はまだ路面電車が走っていました。「あの海辺の道 今は車の道」は多分、西新辺りの明治通り。当時の海岸線は、ほぼ今の「よかトピア通り」で、RKBラジオのスタジオの辺りは百道(ももち)海水浴場だったはずですが、これも貫通線と同じ昭和50年に、大正以来の歴史を閉じています。

 

そういえば昭和55年、私が大学1年の夏に東京からバイクで鹿児島への帰省途中、福岡の友人を訪ねた時はまだ、西南大のすぐ先は海でした。翌年から埋め立てが始まり、百道地区の埋め立てが終わるのは昭和61年。福岡タワーが開業し、「アジア太平洋博覧会(よかトピア)」が開催されたのが1989(平成元)年で、まさにこの年、「昭和の福岡」は終わり、大都市へと変貌を遂げていくわけです。

 

でもこの時期、バブルは日本中を大きく変えましたから、思い出の風景を失くした人はもちろん福岡だけではありません。そしてこの歌は続けて、親を残して古里を去る後ろめたさや都会の孤独を歌い、同じ思いを抱いた「昭和の若者たち」に、今も沁みます。「夕陽」とは、おそらく古里そのもの。「追い続ける」とは、忘れないということでしょう。

 

デビュー50周年の夏、紹介した2曲をはじめ、あらためてチューリップの名曲の数々を聴いてみてはいかがでしょう。

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう