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4月10日放送のRKBラジオ『立川生志 金サイト』に出演した、元サンデー毎日編集長・潟永修一郎さんが出演。新年度が始まり、新たな環境での生活がスタートする時期だが、その「進路選択」に格差が影を落としているという。男女格差から、地域・経済格差に至るまで、現代日本の大学進学を取り巻く厳しい現実についてコメントした。
「娘にだけ進学の条件」…今も残る男女・地域格差
このお話をしようと考えたきっかけは、毎日新聞の記事でした。「BeMe(ビーミー)~私らしく」という連載で、性別の違いによる不平等をなくし、誰もが「私らしくいられる」社会を目指す企画です。2020年に始まって、これまでに400本近い記事を展開しています。見出しだけ言うと、例えば「『結婚も、育児も、台所も当然』が苦痛 田舎を出る女性のホンネ」とか「女性アナの声はうるさい? 男性ばかりのスポーツ実況に吹く新風」とか。
亡くなったryuchell(りゅーちぇる)さんも生前、インタビューに応じ「苦しかった『夫らしさ』 夫婦卒業、家族に」という記事が残っています。すべて毎日新聞デジタルで読めます。
さて、この連載の中で最近読んだのが、「娘にだけ進路の条件 今も大きい地方女性の進学格差」という記事でした。「娘が大学に行くなら国公立で、資格を取ることが条件。でも息子は自由に進学していい」。ご両親はそういう方針だったという、大分県出身の27歳女性の話です。一度は望まない進学をしたものの、心身のバランスを崩して一念発起、別の大学の編入試験に合格し、今は都内の大手IT企業で働く彼女のストーリーは毎日新聞デジタルで読んでいただきたいのですが、中に「日本の大学進学率には依然として男女格差があり、それは都市部より地方で大きくなる」という記載がありました。
格差の一つ目は「男女」です。
内閣府の2025年版「男女共同参画白書」によると、現役の大学進学率は全国平均で、男性57.8%、女性52.3%で、5.5ポイントの差があります。
ちなみに、1970年代まで女性の4年制大学進学率は1割に満たず、男性の5分の1程度でした。80年代に入ってようやく1割を超えますが、男性がおよそ35%に対し女性は12%なので、まだ3分の1です。以降、90年代はおよそ男性40%と女性15%▽2000年代は45%と25%▽2010年代は52%と40%――と年を追うごとに格差は縮まり、ほぼ拮抗したのはようやく2020年代にはいってからです。
経済格差と意識の壁:地方における「男子優先」
ところが、これも地域差があり、「都市部より地方で大きくなる」傾向が顕著です。ここからは、この「都市と地方の格差」を説明します。
25年版の「男女共同参画白書」などによると、都道府県別で最も男女差が大きいのは青森県で、その差はおよそ10.5ポイント。以下、秋田、岩手、山形、宮崎、鹿児島--など、東北と南九州に集中します。
逆に最も低いのは東京都で、その差はほぼゼロ。年によっては、わずかに男女が逆転することもあり、男女差が3ポイント程度と低いのは神奈川や京都、大阪など都市部が多くを占めます。福岡は、静岡や愛知、兵庫などと共に、差が4~7ポイントの中間層です。
白書はその要因として、「地方は4年制大学が少なく、自宅から通える選択肢が限られるため、学費以外に家賃など生活費が掛かる状況では『きょうだいの誰を進学させるか』という判断が生じやすく、依然として男子優先の意識がある」。また、「地方ほど『女性は地元』『早く就職・結婚』という価値観が相対的に残りやすく、女子の進学意欲を後押ししにくい」ことなどを挙げています。
つまり、単に「地域格差」というより、背景には「経済格差」と「意識の格差」があります。
私は昭和の鹿児島生まれですが、実際、いとこたちも女性で4年制大学に行った人は1人もおらず、一方、男性のいとこの半数くらいが大学に進みました。また、私が行った高校はほぼ大学進学率100%でしたが、女子の同級生で東京の難関校に合格できる成績でも、地元で進学した子は少なくありませんでした。
で、私はというと、母一人子一人で、とても東京の大学に行ける経済状況ではありませんでしたが、母は「行きたい学校に行きなさい」と、歯を食いしばって出してくれました。ただ正直、私が女子だったらどうだったろう、とも思います。東北は暮らしたことがないのでわかりませんが、白書が指摘する「意識」の問題は、かつて確かに九州にはあり、まだ名残(なごり)はあるのかもしれません。冒頭ご紹介した記事のケースもそうですが、解消すべき課題だと思います。
「難関大は首都圏出身者ばかり」の現実
ただ、今の「地域格差」を生んでいる要因は、やはり経済の問題だと思います。少し視点を変えて見ていきます。性別は関係なく、東京の、いわゆる難関大学の合格者に占める首都圏出身者の割合です。データはサンデー毎日の合格者ランキングなどに基づきます。
例えば、東京大学です。
都市部と地方の世帯収入の格差が1.5倍から2倍近かった1960年代まで、地方から東大に進む子は半数に満たなかったのですが、高度経済成長を経て収入格差が縮まると共に地方からの進学者も増えて、1970年ころに逆転し、2000年代まで地方出身者が6割近くを占めました。
ところが、2010年代に入ると再び首都圏出身の割合が増えて13年ごろに逆転し、今は首都圏出身者が6割以上を占めます。去年の合格者を出身高校別にみると、上位10校のうち、6位の兵庫・灘高校を除いて、残り9校は開成や麻布などすべて首都圏です。
さらに顕著なのは早稲田大学で、1990年代までは地方出身者がほぼ半数を占め、「バンカラ文化」の象徴的存在でしたが、その後、東大と同じく首都圏出身者の割合が増え続け、去年はおよそ8割です。出身高校別にみると、多い方から上位50校のうち、41位の愛知・東海高校を除く、実に49校が首都圏でした。
ちなみに同じく2025年度、合格者のうち首都圏の高校出身者の割合は▽国立の一橋と東京科学大がおよそ75%▽私立では慶応が80%▽上智が85%▽東京理科大が90%--など、いわゆる難関校と言われる大学は、ほぼ首都圏出身者で占められています。そう考えると、東大はまだそれでも全国区で、地方の高校生でも「合格できる子は出してやりたい」と考える方が多いのだと思います。
仕送りは激減、借金は増大…学生を襲う経済的苦境
では、この間、何が起きたのか。大きかったのは、バブル経済崩壊後の「失われた30年」です。
この30年で、国立大の授業料は年間およそ25万円から53万円に、2.5倍になり、私立大も80万円前後から100万円前後に上がりました。家賃もそうです。都内で言うと、学生向けワンルームは月平均4~5万円だったのが6万~8万円になり、食費など生活費も月5~6万円から2~3万円ほど上がりました。合計すると、一人暮らしの大学生にかかるおカネは、年間150万円前後から250万円前後に、7割も増えました。
一方、この間、世帯年収は1994年の664万円をピークに減って、2010年頃から500万円台で推移していますから、地方に暮らす親はたまったもんじゃありません。1人出せば平均年収の半分近く消える計算で、きょうだい2人が重なれば年間500万円近く、年収1000万円あっても大変ですよね。
実際、上京した大学生への仕送りも、90年代の平均12万円前後をピークに減少に転じ、2010年代は8万円前後、2020年代は7万円前後です。ほぼ家賃で消えますから、奨学金に頼らざるを得ず、受給者の割合は90年代のおよそ2割から2020年代は5割強に増え、4年間の総額は平均およそ400万円に達します。しかもこれ、自宅生を含む数字ですから、一人暮らしの学生に限れば、割合も総額も、もっと増えるはずです。卒業時にこれだけの借金を抱えて社会に出るのです。
これが、かつて全国から学生が集まった東京の大学が「ローカル化」している主な原因でしょう。
教育は「私的投資」か「社会的投資」か
冒頭、大学進学の男女格差が小さいのは東京や神奈川、京都、大阪などで、大きいのは東北と南九州と言いましたが、そもそも大学進学率自体がそうで、地元にたくさん大学がある都市部は7、8割と高く、少ない地方は4割台と、都会のほぼ半分です。通える所に大学は少なく、都会に出すのは経済的に厳しい。出せるとしても1人だから男子が優先される――という負のスパイラルです。
そんな中、地方の成績優秀者の間では今、地元国立大学の医学部を目指す傾向が高まり、一部では東大・京大の理工系と偏差値が逆転しています。医学部は6年ですが、自宅通学なら親の負担は都会に出すより軽く、学生の側でも官僚の就職人気が翳り、研究者も生活苦が言われる中での、現実的な選択でしょう。理解する半面、もしかしたらこの中に将来、研究や発明などで大きな業績を残す人がいるのかもしれない、とも思ってしまいます。
もちろん、どんな選択でも、自分の人生は自分で決めればいいのですが、ただ、教育を受ける機会が、性別や生まれた場所とか、本人が選べないことで制約されるのはおかしいし、格差が固定すれば若者は夢を失い、国は活力を失うと、私は危惧します。
昭和の時代、地方から都会の大学に進んだ学生の多くが「苦学生」と呼ばれました。仕送りは少なく、狭い下宿で食べるものにも事欠きながら学ぶ若者です。そんな若者を歌った、かぐや姫の「神田川」がヒットした1973年当時、平均世帯年収およそ162万円に対し、国立大の授業料は3万6000円=45分の1でした。今はおよそ540万円に対して54万円=10分の1です。収入は3倍なのに授業料は15倍ですよ。今の方がよほど苦学生じゃないですか。
国は支援策として授業料免除や、返済のいらない給付型奨学金の制度を設けましたが、平均年収の家庭だと、子どもが3人いても支給額は合わせて年に十数万円、2人きょうだいだとそれすら出ず、対象者は大学生全体の2割程度にとどまります。支援の年間予算は去年、およそ5200億円で、同じ年、ガソリン代の補助はおよそ1兆円でした。
今問われているのは、「教育を受ける機会」が、生まれた場所や家庭で決まっていいのか。「学びたい」と思う若者が、それで道を閉ざされていいのか。奨学金の貸し付けで借金を背負わせることが、果たして「支援」なのか。そもそも教育は、家庭の「私的投資」なのか、国の未来に向けた「社会的投資」なのか。政治以前に、私たち納税者が問われている気がしています。
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この記事を書いたひと

潟永秀一郎
1961年生まれ。85年に毎日新聞入社。北九州や福岡など福岡県内での記者経験が長く、生活報道部(東京)、長崎支局長などを経てサンデー毎日編集長。取材は事件や災害から、暮らし、芸能など幅広く、テレビ出演多数。毎日新聞の公式キャラクター「なるほドリ」の命名者。






















