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野手最後のダイエー戦士、明石健志引退!
※こちらは9月25日(日)放送のサンデーウォッチの番組記事です。映像は権利の関係上ご覧いただけません。
野手最後のダイエー戦士、明石健志引退!
ホークス一筋19年。現役野手最後のダイエー戦士となった明石健志選手が今シーズン限りでの引退を表明しました。
(明石健志)「私、明石健志は今季をもちまして現役を引退することをここにご報告させていただきます。19年間、ホークスで野球をしてホークスで引退できたことが一番誇れる事です。」
2003年のドラフト4巡目でダイエーホークスに入団した明石健志選手は勝負強いバッティングでチームの黄金期を支えました。プロ19年目となった今シーズンは、6月24日に通算1000試合出場を達成したものの、腰の怪我の影響もあり、出場はわずか22試合にとどまりました。
明石選手と言えば、平成最後の本拠地での試合。0対0で迎えた延長10回、自身初となるサヨナラホームランを放つと、バク宙ホームインを決めドームに詰めかけたファンを沸かせました。そして昨日の試合、代打で登場したプロ野球生活最後の打席でピッチャー強襲の内野安打を放ちました。
(明石健志)「監督やコーチ、そういう人の助けをたくさんもらって19年間出来ました。19年間、幸せなプロ野球人生でした。本当にありがとうございました。」
(明石健志)「私、明石健志は今季をもちまして現役を引退することをここにご報告させていただきます。19年間、ホークスで野球をしてホークスで引退できたことが一番誇れる事です。」
2003年のドラフト4巡目でダイエーホークスに入団した明石健志選手は勝負強いバッティングでチームの黄金期を支えました。プロ19年目となった今シーズンは、6月24日に通算1000試合出場を達成したものの、腰の怪我の影響もあり、出場はわずか22試合にとどまりました。
明石選手と言えば、平成最後の本拠地での試合。0対0で迎えた延長10回、自身初となるサヨナラホームランを放つと、バク宙ホームインを決めドームに詰めかけたファンを沸かせました。そして昨日の試合、代打で登場したプロ野球生活最後の打席でピッチャー強襲の内野安打を放ちました。
(明石健志)「監督やコーチ、そういう人の助けをたくさんもらって19年間出来ました。19年間、幸せなプロ野球人生でした。本当にありがとうございました。」
ホークス一筋19年。現役野手最後のダイエー戦士となった明石健志選手が今シーズン限りでの引退を表明しました。
(明石健志)「私、明石健志は今季をもちまして現役を引退することをここにご報告させていただきます。19年間、ホークスで野球をしてホークスで引退できたことが一番誇れる事です。」
2003年のドラフト4巡目でダイエーホークスに入団した明石健志選手は勝負強いバッティングでチームの黄金期を支えました。プロ19年目となった今シーズンは、6月24日に通算1000試合出場を達成したものの、腰の怪我の影響もあり、出場はわずか22試合にとどまりました。
明石選手と言えば、平成最後の本拠地での試合。0対0で迎えた延長10回、自身初となるサヨナラホームランを放つと、バク宙ホームインを決めドームに詰めかけたファンを沸かせました。そして昨日の試合、代打で登場したプロ野球生活最後の打席でピッチャー強襲の内野安打を放ちました。
(明石健志)「監督やコーチ、そういう人の助けをたくさんもらって19年間出来ました。19年間、幸せなプロ野球人生でした。本当にありがとうございました。」
(明石健志)「私、明石健志は今季をもちまして現役を引退することをここにご報告させていただきます。19年間、ホークスで野球をしてホークスで引退できたことが一番誇れる事です。」
2003年のドラフト4巡目でダイエーホークスに入団した明石健志選手は勝負強いバッティングでチームの黄金期を支えました。プロ19年目となった今シーズンは、6月24日に通算1000試合出場を達成したものの、腰の怪我の影響もあり、出場はわずか22試合にとどまりました。
明石選手と言えば、平成最後の本拠地での試合。0対0で迎えた延長10回、自身初となるサヨナラホームランを放つと、バク宙ホームインを決めドームに詰めかけたファンを沸かせました。そして昨日の試合、代打で登場したプロ野球生活最後の打席でピッチャー強襲の内野安打を放ちました。
(明石健志)「監督やコーチ、そういう人の助けをたくさんもらって19年間出来ました。19年間、幸せなプロ野球人生でした。本当にありがとうございました。」
受け継がれたバク宙ホームイン!
受け継がれたバク宙ホームイン!
(井口アナ)「駆け抜けた19年という事ですけど、秋山さんも監督時代にもちろん明石選手を見ていますよね。」
(秋山幸二)「僕が2軍監督の時に明石が高校から入ってきて2年目の時なんですよね。2年間僕が2軍監督をやりましたけど、ヒョロヒョロヒョロヒョロしていて、それを目一杯練習させてかなり鍛えたんです。僕はバク宙ホームインを36年前にやったんですよ。それから誰かそういう事をする人がいないかなぁと思っていたら、明石がやってくれたんですね。僕よりも綺麗なバク宙をしましたけど(笑)。」
(井口アナ)「監督時代に『サヨナラホームランを打ったらやれよ』って言っていたんですよね?」
(秋山幸二)「僕が2軍監督をやっていた時に言っていたんです。遊びでバク宙やっていたので1軍にあがってサヨナラホームランを打ったらやれよって言っていたんだけども、それをやってくれたのが想い出になりましたね。」
(武田伊央アナ)「満を持してという感じでやっていましたよね。」
(井口アナ)「本当にお疲れ様でした。」
(秋山幸二)「僕が2軍監督の時に明石が高校から入ってきて2年目の時なんですよね。2年間僕が2軍監督をやりましたけど、ヒョロヒョロヒョロヒョロしていて、それを目一杯練習させてかなり鍛えたんです。僕はバク宙ホームインを36年前にやったんですよ。それから誰かそういう事をする人がいないかなぁと思っていたら、明石がやってくれたんですね。僕よりも綺麗なバク宙をしましたけど(笑)。」
(井口アナ)「監督時代に『サヨナラホームランを打ったらやれよ』って言っていたんですよね?」
(秋山幸二)「僕が2軍監督をやっていた時に言っていたんです。遊びでバク宙やっていたので1軍にあがってサヨナラホームランを打ったらやれよって言っていたんだけども、それをやってくれたのが想い出になりましたね。」
(武田伊央アナ)「満を持してという感じでやっていましたよね。」
(井口アナ)「本当にお疲れ様でした。」
(井口アナ)「駆け抜けた19年という事ですけど、秋山さんも監督時代にもちろん明石選手を見ていますよね。」
(秋山幸二)「僕が2軍監督の時に明石が高校から入ってきて2年目の時なんですよね。2年間僕が2軍監督をやりましたけど、ヒョロヒョロヒョロヒョロしていて、それを目一杯練習させてかなり鍛えたんです。僕はバク宙ホームインを36年前にやったんですよ。それから誰かそういう事をする人がいないかなぁと思っていたら、明石がやってくれたんですね。僕よりも綺麗なバク宙をしましたけど(笑)。」
(井口アナ)「監督時代に『サヨナラホームランを打ったらやれよ』って言っていたんですよね?」
(秋山幸二)「僕が2軍監督をやっていた時に言っていたんです。遊びでバク宙やっていたので1軍にあがってサヨナラホームランを打ったらやれよって言っていたんだけども、それをやってくれたのが想い出になりましたね。」
(武田伊央アナ)「満を持してという感じでやっていましたよね。」
(井口アナ)「本当にお疲れ様でした。」
(秋山幸二)「僕が2軍監督の時に明石が高校から入ってきて2年目の時なんですよね。2年間僕が2軍監督をやりましたけど、ヒョロヒョロヒョロヒョロしていて、それを目一杯練習させてかなり鍛えたんです。僕はバク宙ホームインを36年前にやったんですよ。それから誰かそういう事をする人がいないかなぁと思っていたら、明石がやってくれたんですね。僕よりも綺麗なバク宙をしましたけど(笑)。」
(井口アナ)「監督時代に『サヨナラホームランを打ったらやれよ』って言っていたんですよね?」
(秋山幸二)「僕が2軍監督をやっていた時に言っていたんです。遊びでバク宙やっていたので1軍にあがってサヨナラホームランを打ったらやれよって言っていたんだけども、それをやってくれたのが想い出になりましたね。」
(武田伊央アナ)「満を持してという感じでやっていましたよね。」
(井口アナ)「本当にお疲れ様でした。」
カト淳の言い鷹放題!
カト淳の言い鷹放題!
運動神経が町中で一番凄い人の中の一握りがプロ野球で活躍し、その中のほんの一握りだけが引退セレモニーを執り行ってもらえるという世界。
明石健志選手について語ると、「他球団に行けばすぐにレギュラーになれる」と言うのをホークスファンはよくしていたものです。守備はどこでも守れるし、ファールで粘る事も出来て足も速い。さらに後輩からも慕われる人格者であったことも貴重な選手。
ホークスはスーパーサブというポジションで彼を決して他球団へ放出しなかった。
アマチュア野球とは違い、シーズンオフは沖縄やグアムやハワイといった暖かい場所で自主トレーニングをするというのがプロ野球選手の体作りの常ですが、入団したての頃の明石選手はどこにも行かず、自宅マンションの非常階段を昇ったり降りたりしてトレーニングをしていたというのが印象的でした。同期入団の城所コーチは「その話を聞いたときはびっくりしましたけど、あいつは天才ですからそれでも良いんです」と言っていたほど身体能力の高さを認められていました。
これからは明石選手が価値を上げたユーティリティープレイヤーというポジションをホークスの伝統芸にしてほしいと思います。19年間お疲れ様でした。
明石健志選手について語ると、「他球団に行けばすぐにレギュラーになれる」と言うのをホークスファンはよくしていたものです。守備はどこでも守れるし、ファールで粘る事も出来て足も速い。さらに後輩からも慕われる人格者であったことも貴重な選手。
ホークスはスーパーサブというポジションで彼を決して他球団へ放出しなかった。
アマチュア野球とは違い、シーズンオフは沖縄やグアムやハワイといった暖かい場所で自主トレーニングをするというのがプロ野球選手の体作りの常ですが、入団したての頃の明石選手はどこにも行かず、自宅マンションの非常階段を昇ったり降りたりしてトレーニングをしていたというのが印象的でした。同期入団の城所コーチは「その話を聞いたときはびっくりしましたけど、あいつは天才ですからそれでも良いんです」と言っていたほど身体能力の高さを認められていました。
これからは明石選手が価値を上げたユーティリティープレイヤーというポジションをホークスの伝統芸にしてほしいと思います。19年間お疲れ様でした。
運動神経が町中で一番凄い人の中の一握りがプロ野球で活躍し、その中のほんの一握りだけが引退セレモニーを執り行ってもらえるという世界。
明石健志選手について語ると、「他球団に行けばすぐにレギュラーになれる」と言うのをホークスファンはよくしていたものです。守備はどこでも守れるし、ファールで粘る事も出来て足も速い。さらに後輩からも慕われる人格者であったことも貴重な選手。
ホークスはスーパーサブというポジションで彼を決して他球団へ放出しなかった。
アマチュア野球とは違い、シーズンオフは沖縄やグアムやハワイといった暖かい場所で自主トレーニングをするというのがプロ野球選手の体作りの常ですが、入団したての頃の明石選手はどこにも行かず、自宅マンションの非常階段を昇ったり降りたりしてトレーニングをしていたというのが印象的でした。同期入団の城所コーチは「その話を聞いたときはびっくりしましたけど、あいつは天才ですからそれでも良いんです」と言っていたほど身体能力の高さを認められていました。
これからは明石選手が価値を上げたユーティリティープレイヤーというポジションをホークスの伝統芸にしてほしいと思います。19年間お疲れ様でした。
明石健志選手について語ると、「他球団に行けばすぐにレギュラーになれる」と言うのをホークスファンはよくしていたものです。守備はどこでも守れるし、ファールで粘る事も出来て足も速い。さらに後輩からも慕われる人格者であったことも貴重な選手。
ホークスはスーパーサブというポジションで彼を決して他球団へ放出しなかった。
アマチュア野球とは違い、シーズンオフは沖縄やグアムやハワイといった暖かい場所で自主トレーニングをするというのがプロ野球選手の体作りの常ですが、入団したての頃の明石選手はどこにも行かず、自宅マンションの非常階段を昇ったり降りたりしてトレーニングをしていたというのが印象的でした。同期入団の城所コーチは「その話を聞いたときはびっくりしましたけど、あいつは天才ですからそれでも良いんです」と言っていたほど身体能力の高さを認められていました。
これからは明石選手が価値を上げたユーティリティープレイヤーというポジションをホークスの伝統芸にしてほしいと思います。19年間お疲れ様でした。
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