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激レア映像!福岡2万3,000日物語 第3弾

今回は「激レア映像!福岡2万3,000日物語」の第3弾。「九州初の民放局」としてテレビ放送を始めたRKBに眠る64年=2万3,000日分の「福岡激レア映像」を一挙に公開します。昭和から平成への時代を振り返りながら、福岡のまちの変化を見てみましょう!

年代順に振り返る「福岡を変えた!ヒストリー」

1950年代

RKBがテレビ放送を始めた1958年。この年は日本で初めて1万円札が登場したほか、「東京タワー」の完成や炭酸飲料「ファンタ」が日本で買えるようになるなど、トピックが多い1年でした。

1960年代

1960年代は、福岡にモデルガンブームが到来。学校で鉄砲ごっこが流行するなど、老若男女がモデルガンに夢中でした。
自動車ブーム真っ只中だった60年代。福岡市東区香椎では、「自動車の運動会」が開催されました。車窓から身を乗り出した「パン食い競争」や車で大玉を転がす「大玉転がし」、助手席からの声だけを頼りに運転する「目隠し運転コンテスト」など、今では考えられない競技が盛りだくさん!

1970年代

日本全国が「インベーダーゲーム」に湧いた70年代。福岡ではゴルフ女子が急増していました。
また、高校球児の日常に密着した『ガッツ青春』という番組がスタート。当時は「スポ根」絶頂期で、部活動に参加する子どもたちはフラフラになるまで練習に打ち込んでいました。なかには、今の時代では考えられない「鬼の練習メニュー」も。現代では完全に「NG」です。
また、70年代初頭は団地の建設ラッシュが到来。団地生活が憧れの的となっていました。一方、緩やかな生活に落ち着いた子どもは「盆栽育ち」と言われる場面も。
そうした背景からか、北九州市のある場所に設けられていたのは「肥満児学級」でした。週5日、のべ2時間のトレーニング。暮らしが急激に贅沢になった当時、「ぜいたく病」が問題になっていたようです。

1980年代

福岡市が急成長した80年代、時代はバブルへ突入。家庭用ゲーム機「ファミコン」が登場したこの時期、1981年には福岡市東区に「海の中道海浜公園」や「海洋生物科学館」(現・マリンワールド海の中道)が開園しました。
まちの中心部では都市高速道路の大部分が開通。1989年には早良区百道浜に「福岡タワー」が開業しました。
こうした都市整備が進んだのは、1989年に百道浜で開催されたアジア太平洋博覧会「よかトピア」が開催されたから。観覧車や絶叫マシーン、パビリオンで最新技術を体感できるなど話題となった「よかトピア」には、多くの人が足を運びました。
公式キャラクターの「太平くん」と「洋子ちゃん」は、「よかトピア」開幕1カ月前に亡くなった漫画家・手塚治虫氏がデザイン。幻のキャラクターとしてファンの間で語り継がれています。
この時期に、人工海岸マリゾンも登場。緑色の地名の札に英語表記が追加されたのも「よかトピア」のためでした。

1990年代

PHSが登場し、インターネットが普及し始めた1990年代。1993年には「福岡ドーム」(現・福岡PayPayドーム)が完成しました。
しかし、肝心のホークスの成績は万年Bクラス……。ダイエーホークスが日本シリーズを初制覇した1999年はついに積年の願いが叶い、福岡県民にとって忘れられない都市となりました。

福岡のローカルスター特集

「お仏壇のはせがわ」のCMでおなじみ、しあわせ少女「たばさちゃん」

福岡県に本社を置く「お仏壇のはせがわ」。CMで全国的に大人気だった2代目しあわせ少女、たばさちゃん(当時5歳)が表舞台を消してから20年。番組独自のリサーチで、32歳の池田たばささんに会うことができました。
32歳になった池田たばささん。当時の面影が少し残っていました。現在は大牟田市で家族5人暮らし。韓国子ども服のお店をオープンし、社長として、母親として人生を歩んでいました。

「博多の女」のCMに出演していたあの女性

「博多の女」のCMに出演していたこちらの着物の女性。二鶴堂の橋本由紀子社長に尋ねると何度も探したそうだが、行方はわからないとのこと。

ユニバーシアード福岡大会の公式キャラクター・カパプー

1995年に開催された「ユニバーシアード福岡大会」。大会の結果よりも県民の記憶に残ったのが、大会公式マスコットキャラクターの「カパプー」でした。カパプー星からやってきたユニコーンという設定。PR隊長としてさまざまな会場に駆けつけました。
現在はどうしているのか。福岡市に問い合わせてみると、福岡市博物館にカパプーゆかりのグッズが保管されているとの情報を得ました。今後のお披露目予定はないとのこと。番組で観るのがラストになるかも?!

「MrMAX(ミスターマックス)」のCMソングを歌ったあの人

聖者の行進のパロディとして親しまれている「MrMAX(ミスターマックス)」のあの曲。歌っているのは堤田ともこさん。CMソング界隈で走らない人はいない「九州のCMソング女王」だそうです。
しかし、1978年に1号店としてオープンした「MrMAX」長住店の藤野安雄店長によると、開店当初テーマソングを歌っていたのは、なんと松崎しげるさん。
ヒットソング「愛のメモリー」リリースの翌年に歌っていたようです。

グルメ番組で定番の「食レポ」がはじまったのはいつから?

現在は定番のグルメ番組での「食レポ」。始まったのはいつからだったのか、番組独自で
リサーチしてみました。

RKBの番組制作に長年携わる名プロデューサー・八坂建さん(75歳)によると、70年代ごろまではフィルム撮影だったため、撮影時間が短かったとのこと。

食レポがはじまったのは、「現在も使われているENGという形式で撮影できるようになった80年代以降ではないか」との証言を得ました。

八坂さんによると80年代半ば、こうした街ネタを伝える番組は「軽チャー」文化と呼ばれていたようです。


RKBの倉庫に眠る映像を確認したところ、初めて番組でグルメネタを扱ったのは1987年に放送された「愛らんど九州22時」でのこと。

さらに、RKB最古の食レポ(RKB調べ)が放送されたのは、同じ87年のこの回でした。1本10円の焼き鳥がウリの「元禄」と100円ラーメンで知られた「勝龍軒」を訪れたレポーター山下奈緒美さんの初食レポは、なんと「なかなか」!

ちなみに、昭和25年創業の「元禄」は、大牟田市で今でも営業を続けています。店を切り盛りするのは3代目の吉岡凌さん。先代からの想いを引き継いで、皮とすなずりは今でも1本10円とのこと!(※注文は5本から)


今回も驚きの映像が盛りだくさんだった今回。2023年も激レア映像の公開が決定。ご期待ください!

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