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激レア映像! 福岡2万3000日物語 第4弾

九州で最も古い民放局・RKBに眠る65年=2万3000日分の「福岡激レア映像」を一挙公開! カンニング竹山に加え、番組初登場の重盛さと美が出演します。今では絶対にありえない『昔の福岡の当たり前』や『福岡を変えた瞬間』が満載!

乗り物の登場と交通網の進化でまちが変わった!

日本にフェリーボートが登場した1960年代。福岡では1968年に、北九州と神戸を結ぶ阪九フェリーが登場しました。船内では花札で遊んだり横になって煙草を吸ったり。くつろぎながらの移動は、当時は画期的なことでした。
都市部を中心に進化を遂げる1970年代。1975年には山陽新幹線が九州に上陸しました。
その頃、福岡空港でも“空の革命”が。福岡・東京間を結ぶ大型旅客機が次々と就航し、多くの人々が首都圏との間を行き来するようになりました。

大型旅客機に新幹線の開通で、若者が里帰りできるようになったのもこの頃。今では当たり前の光景も、当時では画期的な出来事でした。
天神や箱崎、西新などの主要エリアを走っていた路面電車、通称“チンチン電車”は、バスの大型化や車の増加に伴い、1974年に廃止されました。
その後、1981年に福岡市営地下鉄が開業。開業当初の運転区間は室見から天神まででした。
開業時には、地上にある18の銀行の地下金庫が、地下鉄天神駅と壁ひとつを隔てて並んでいました。そのため、銀行強盗を心配する声があがり、天神駅の出入り口が4つも減らされてしまったというエピソードも。
そんな地下鉄も、開業翌年の1982年には中洲まで延伸。1993年には地下鉄空港線が開業し、全国で初めて地下鉄が空港に乗り入れました。
2005年には地下鉄七隈線が開業。そして2023年3月27日には、七隈線・天神南から博多までが延伸予定です。
今年1月には、「福岡大名ガーデンシティ」(中央区大名)の広場が先行オープンしました。「ザ・リッツカールトン ホテル」やその他の商業施設はその後順次営業をスタートし、6月には全18テナントが全館開業する予定です。福岡の交通地図の刷新に合わせて、まちの光景も進化を続けています。

オートジャイロで空を飛んだ「久留米のエジソン」

1970年、久留米・筑後川の河川敷で撮影された「オートジャイロ」。プロペラからエンジンまで手作りの飛行機を開発したのは、パイロット・開発者の広重重功さん(当時34歳)でした。
当時の話を聞こうと久留米に向かったところ、迎えてくれたのは重功さんの長男・広重功一さん。映像の中で、重功さんの後ろに座って空飛んでいた人物でした。

残念ながら、重功さんは5年前に他界。機体は残っていませんが、最終的には自力飛行に成功していたそうです。

まぶしすぎる昭和のイベント

急激な物価上昇に見舞われた1961年。北九州の「八幡製鉄所」で働く労働組合の人々は、賃上げ要求を求めて駅伝大会を開催?!
福岡市内にある老人ホームでは、「色」「ツヤ」「形」「品位」を基準にハゲ具合を競う「ハゲ具合コンテスト」が行われていました。

現代とは大違い! 昭和時代の喫煙者

1966年の成人男性の喫煙率は、驚異の83.7%。電車の中や病院の待合室でも喫煙できる時代でした。ところが80年代前半、たばこの悪影響が指摘されるようになり、お店や施設でもマナーを啓発したり、禁煙スペースを設けたりする動きが出てきました。
役所内では①室内の換気を定期的に行う②灰皿に水をはり、吸い終わったらすぐに火を消すといった、吸うことを前提とした“自粛運動”が行われていたようです……。

時代を反映する恋愛模様

2023年、令和の男女の出会いと言えば「マッチングアプリ」。一方、1960年代と言えば親や親族の紹介で出会う「お見合い」での結婚が主流でした。
電子機器が進化した80年代には「ビデオお見合い」まで登場!

お見合いが衰退した後は、恋愛結婚がメインに。電話が頻繁に使えなかった時代は、文通で相手と交流していました。
異性と知り合う場所は「雑誌」。「ペンフレンド」募集のコーナーを見て文通相手を見つけるのが流行しました。
その後、「一家に一台」を合言葉に固定電話が急速に普及。手紙ではなく電話でやりとりできるようになりましたが、不便な点もまだたくさん残っていました。
今はスマホで連絡を取り合って会うのが当たり前ですが、当時は具体的な場所を決めておかないと待ち合わせができませんでした。その場で連絡を取りたい場合は、駅の「伝言板」を活用するほかなかったのです。

令和の定番デートスポットと言えば、カフェや映画、ドライブ。一方、昭和時代の福岡では「かしいかえん」や「福岡スポーツセンター」といったスポットが人気を博していました。
「福岡スポーツセンター」とは、現在のソラリアプラザの場所にあった興行施設。中には巨大なスケート場や映画館などがあったほか、イベント会場としても利用されていましたが、惜しまれつつ1987年に閉業しました。
その頃に誕生した出会いの場と言えば、福岡の伝説的ディスコ「マリアクラブ」。出会いを求める若者でフロアはいつもごったがえしていました。
普段出会いが少なかった「漁師」限定の貸切イベントも開催されていたとか!
80年代後半はアウトドアブームが到来。アウトドアが出会いの場になっていた。ダイビングがきっかけで結婚したあるカップルは、ダイビングスクールのプールで結婚式を開催していました。
1990年代はポケットベル、通称「ポケベル」が登場。端末に数字表示機能が追加されると若者に大ブームに。数字だけでメッセージを伝える「ポケベル暗号」が流行しました。
その後、PHSや携帯電話が登場。メッセージや画像の送信ができるようになり、離れていてもたくさんの思い出を共有できるようになりました。

【特別企画】令和の恋人はスマホなしで待ち合わせできるのか?!

企画に挑戦するのは、140万以上のフォロワーを持つ、熊本在住のTikTokerカップル「ちーでぃーず」。スマホ世代ど真ん中の二人には、待ち合わせの時間と場所を決めてもらい、スマホなしで別々の場所から集合してもらいます。
彼らが決めた集合時間と場所は「午後1時に天神」。彼氏のでぃーちゃんは博多駅から。彼女のちーちゃんは百道浜から出発しました。
スマホなしだと、自分の現在地や交通機関の情報が調べられないと気付いた二人。交通手段を探すのにも一苦労です。また、キャッシュレス決済に対応できないので支払いは現金で。これだけでもけっこう不便……!
先に天神に到着したのはでぃーちゃんでしたが、「天神」と言うだけで具体的な場所を決めていなかったので、どこでちーちゃんを待てばいいかがわからない!

交通機関の利用に苦戦して遅刻するちーちゃんと、天神のまちを探し回るでぃーちゃん。数々のすれ違いの末、ソラリアの大画面前で待っていると……
予定時刻よりオーバーしたけど、感動の再会を迎えることができました!

激動の昭和から令和までをふり返る激レア映像、いかがでしたか? これからますます進化を遂げる福岡のまちの姿もお楽しみに。

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