水城東口から50メートル程歩いたところにあるのが「姿見の井」。
道真公が都から大宰府へ入り、長旅でやつれた自分の姿を井戸水に写して見て、思わず水をかき回したという話が伝わっています。
現在は水は入っていません。
その隣にあるのが衣掛天満宮。
ここには、「衣掛の松」と「衣掛の石」の二つがあります。
松は道真公がここで着替えをするときに衣を掛けたという松で、神社の扁額として残してあります。
衣掛の石はここから少し離れた道路沿いにあります。高さが2メートル、幅が30~40センチのもので、かつて民家の中にあったものですが、現在では
外にあり、誰でも見学できます。
五条の交差点と太宰府駅の中間あたり、太宰府天満宮のもともとの参道沿いに「神牛塚」があります。
太宰府天満宮は、菅原道真公の亡骸をのせた牛車を牽いた牛が動かなくなった場所を道真公の墓所として定めたのが始まりです。
その牛は役目を終え家に戻ろうとする途中で息絶えました。
その場所が五条の「神牛塚」なのです。
昨年末に、塚に加えて「神牛像」が奉納されました。
太宰府神牛塚管理事務局の兼敏文明さんは「天満宮の始まりの役目を果たした牛にも思いを寄せ、合格祈願をしてほしいですね」と、微笑みます。
像が設置されるや否や頭をなでなでしてる男性もいらっしゃいましたよ。
もちろん私もなでなでしました。
道真公が都から大宰府へ入り、長旅でやつれた自分の姿を井戸水に写して見て、思わず水をかき回したという話が伝わっています。
現在は水は入っていません。
その隣にあるのが衣掛天満宮。
ここには、「衣掛の松」と「衣掛の石」の二つがあります。
松は道真公がここで着替えをするときに衣を掛けたという松で、神社の扁額として残してあります。
衣掛の石はここから少し離れた道路沿いにあります。高さが2メートル、幅が30~40センチのもので、かつて民家の中にあったものですが、現在では
外にあり、誰でも見学できます。
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太宰府天満宮は、菅原道真公の亡骸をのせた牛車を牽いた牛が動かなくなった場所を道真公の墓所として定めたのが始まりです。
その牛は役目を終え家に戻ろうとする途中で息絶えました。
その場所が五条の「神牛塚」なのです。
昨年末に、塚に加えて「神牛像」が奉納されました。
太宰府神牛塚管理事務局の兼敏文明さんは「天満宮の始まりの役目を果たした牛にも思いを寄せ、合格祈願をしてほしいですね」と、微笑みます。
像が設置されるや否や頭をなでなでしてる男性もいらっしゃいましたよ。
もちろん私もなでなでしました。
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