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討論会が潮目を変えたのか?
津森陣営は、討論会への参加だけでなくメディアの取材にも消極的で、各種団体のアンケートになかなか回答しない事例が目立った。忙しく負担が大きいのは理解するが、他の3陣営も同じだったはずで、消極的な姿は際立っていた。集会が終わった際に各社が集まって話を聞く「囲み取材」が設けられないこともあり、質問を途中で打ち切られることも多かった。他候補と比べ取材の機会は圧倒的に少なかった。こうした津森陣営が重視していたのが支援団体に顔を出すあいさつ回りだ。ある自民党関係者は、この選挙戦略を市民に姿を見えないままにする「ステルス作戦」と呼んでいた。
選挙戦に入ってもその姿勢に大きな変化は見られなかった。告示後に急遽開かれた合同演説会の後に、「参加してどうでした?」というシンプルな質問に対しても津森氏は無言を貫いた。本人の意思なのか陣営の方針なのかは定かではないが、ここで短くとも言葉を発するだけで見ている人の印象は変わっていたかもしれない。
選挙後、圧倒的に有利と思われていた津森氏が敗北した理由として、「潮目が変わったのは討論会」とする記事がいくつも出ていた。ただ、私は、そこではないと感じている。市民との接し方、考えの発信力、メディア対応など、「政治家として市民と向き合う姿勢」が「討論会不参加」によって可視化されたのだと思う。潮目を変えたのではなく、さまざまな市民との向き合い方を「見える化」したものの一つが討論会への対応だったのではないだろうか。
与野党「呉越同舟」は上手くいったのか?
その津森陣営、普段は鎬を削っている与野党が合同で選挙に取り組んでいた。この状況について、ある幹部は自嘲気味に「呉越同舟」と話した上で、「意見をあげても伝わらない」と嘆いていた。首長選挙などで与野党が組むことを否定するわけではない。ただ、公募も行われておらず、「なぜ津森氏を選んだのか?」という過程と理由が分かりにくく、十分な説明もなかった。候補の決め方として適切だったのか、透明性はあったのか、与野党双方の関係者から納得のいく説明は最後まで聞くことができなかった。
既成政党の間で「大人の事情」があったのかもしれない。だが、密室政治と批判されても仕方なく政治不信を招きかねない状況だった。それは、RKBの出口調査で与野党ともに支持層を固めきれていなかったことにも現れていた。与野党共に大きな課題が残る結果となった。
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この記事を書いたひと
今林隆史
1976年生まれ 福岡市出身 政治・経済などのニュース取材に加え、ドキュメンタリー番組の制作にも携わる。第58次南極観測隊に同行。JNNソウル特派員として韓国の大統領選挙(2022)などを取材。気象予報士・潜水士の資格を有し、環境問題や防災、水中考古学などをライフワークとして取材する。 番組「黒い樹氷~自然からの警告~」で科学技術映像祭 内閣総理大臣賞(2009)、「甦る元寇の船~神風の正体に迫る~」同映像祭 文部科学大臣賞(2013)など受賞。