PageTopButton

爆風スランプ・松任谷由実…「九段下」が舞台の2曲の歌詞を読み解く

RKBラジオ『立川生志 金サイト』のコメンテーター、潟永秀一郎・元サンデー毎日編集長は、かつて作詞家を志望していた。そこで毎月一回お送りしているのが「この歌詞がすごい」という解説コーナー。4月の新入学シーズンを前に特集したのは「九段下の歌」、一体どういうことなのだろうか?

大学の入学式会場

九段下は、皇居の近くの地名で、最寄り駅は地下鉄・東西線の九段下駅。東京の桜の標準木=開花宣言の目安になる桜は、駅からほど近い靖国神社の境内にあります。九段下界隈にはこの靖国神社だけではなく、皇居のお堀に沿った「千鳥ヶ淵」もおよそ260本のソメイヨシノが咲き誇る、都内有数の花見の名所です。

その九段下にある、もう一つの名所が「武道館」。4月のはじめ、武道館では大学の入学式が次々に執り行われます。今年は2日の東京電機大を皮切りに、3日が法政、7日が明治、8日が日大など9校予定され、トリが12日の東京大学です。

昭和の手紙文化「文通」を今に残した名曲

ということで、1曲目はご存じ、武道館を歌った最も有名な歌です。

爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で~はるかなる想い」です。

九段下駅の発車メロディでもあるので、武道館で入学式を迎える大学生の皆さんは、きっと聞くことでしょう。作詞はサンプラザ中野さん。1989年、時代が昭和から平成に変わる年の歌です。

タイトルの「大きな玉ねぎ」は、武道館の屋根の上にある擬宝珠(ぎぼし)のことで、確かに玉ねぎにみえます(笑)。以来、その存在は全国に知れ渡るわけですが、もう一つ、この歌が果たした大きな役割は、「文通」という昭和の手紙文化を今に残したことだと、私は思います。

歌詞の冒頭に出てくる「ペンフレンド」という言葉。ネット時代の今は考えられませんが、私が中学生くらいまではまだ雑誌に「ペンフレンド募集」のページがあって、例えば「吉田拓郎大好き少女です」とか「男子校テニス部員。テニス好きの女子の方」とか、文面から相手を選んで編集部宛に手紙を送り、そこから文通が始まったりしていました。

おそらくこの歌に描かれる二人も、同じミュージシャンのファンで、歌詞にある通り、<若すぎるから 遠すぎるから 会えないから 会いたくなるのは必然>で、貯金箱を壊して、彼女に武道館のコンサートチケットを送るわけです。

貯金箱ですよ。しかも割らないとおカネが出せない陶器のやつ。続く歌詞「定期入れの中のフォトグラフ」もそうですが、もう50代以上の方は、涙ちょちょぎれるほど懐かしいですよね。

そして<初めて君と会える>期待に、九段下の駅から武道館に続く坂道を登る視線の先に、武道館の玉ねぎが夕陽に染まって輝いている――ここまでが1番です。

ところが、彼女は来ません。チケットを送った返事には多分「楽しみにしている」とあったはずなのに、コンサートが始まっても、隣の席は空いたまま。<君のための席がつめたい>――と、ここまでが2番。

そして、ついに彼は<アンコールの拍手の中>武道館を飛び出します。一人で<涙を浮かべて>。行き道はあんなに弾んだ気持だったのに、うつむいた視線の先に見えるのは、千鳥ヶ淵の水面(みなも)に映る月。そうして振り向いた空には、武道館の玉ねぎが光っていた――という、わずか数時間の物語。

それが、すべての情景と彼の心情が手に取るようにわかるから、この歌は時代を超えた普遍性を持ちえたのだと、私は思います。

余談ですが、私、なぜ彼女が来なかったのか考えたんですが、まあ普通、年頃の娘さんが、会ったこともない男と夜のコンサートに出かけると言ったら、親御さんは止めますよね。今の時代ならなおさら。だって、行ったら怪しいオヤジかもしれませんから(笑)。もしくは、彼に送っていたのは友だちの写真だった、とか(笑)。そんないろんなことを想像できるのも、歌の楽しみ方の一つです。

桜の歌の中で最高傑作

もう1曲、九段下に縁のある歌を。松任谷由実の「経る時」。こちらは冒頭お話した、千鳥ヶ淵の桜の風景を歌った歌です。

spotifyで聴く

本当に優れた歌詞で、私は個人的に、数多(あまた)ある桜の歌の中で、この「経る時」が最高傑作だと思っています。

舞台は、かつて千鳥ヶ淵に実在した「フェアモントホテル」。この1階にあったカフェをユーミンも訪ねたんですね。このホテル、残念ながら老朽化のため2002年に取り壊されて、今は超高級マンションになっています。

さて、先ほど、「大きな玉ねぎの下で」の歌詞は「数時間の物語」だと言いましたが、こちらは1年。主人公の女性が季節ごとに同じホテルのティールームを訪ね、窓の外を眺めながら、通り過ぎた日々と帰らない人に思いを馳せます。静かなモノローグですが、そこには四季の移ろいに投影された彼女の人生があり、それがこの歌に胸に染み入るような深みを与えています。

では、歌詞を読み解いていきます。

冒頭、登場するのは窓際の席に座る老夫婦。仲睦まじく、膨らみだした桜の蕾を眺めています。のどかな光景ですが、この歌が収録されたアルバムタイトルを考えると、この対比には深い意味が宿ります。人生を終えようとする2人と、膨らみだした蕾――アルバムタイトルは「リインカネーション」=日本語で言うと、輪廻転生(りんね・てんしょう)だからです。

さて、桜の蕾が膨らみだす頃ですから、東京だと3月の初めでしょうか。風はまだ冷たく、桜並木は枯木立です。歌詞はこう描きます。

<薄日の射す枯木立が / 桜並木であるのを誰もが忘れていても / 何も云わず / やがて花は咲き誇り / かなわぬ想いを散らし / 季節はゆく>

まるで桜に意志があるように、「美しい」と愛でられるのは花の季節だけでも、じっと冬の寒さに耐えて花開き、咲き続けたいという願いを散らして季節は変わる――と。あえて「擬人法」を使ったのは、おそらく「人の一生もそうだ」という、「けれどまた新しい命が生まれて繰り返されていくのだ」という暗喩でしょう。

彼女が輝いた季節は、いつだったのでしょう。でも、その時このティールームで微笑み合った人は、今はもういません。歌詞はこう続きます。

<二度と来ない人のことを / ずっと待ってる気がするティールーム / 水路に散る桜を見に / さびれたこのホテルまで>

そして次のフレーズだけ歌は転調し、季節の移ろいを伝えます。夏から秋にかけての、同じ千鳥ヶ淵の風景です。

<真夏の影 深緑に / ペンキの剥げたボートを浸し / 秋の夕日 細く長く / カラスの群れはぼんやり / スモッグの中に溶ける>と。

何気ないこの歌詞が実は凄くて、それはあえて「美しくないもの」を歌に挟んだことです。千鳥ヶ淵の水は夏、緑色に濁り、暑さで乗る人もない貸しボートはペンキが剥げ、水面に映る影は深緑色です。また、秋の夕日の中を飛ぶのはカラス。それもスモッグの中に消え去ります。このリアルさが歌に奥行きを与え、さらに、桜の季節の美しさを際立てるんです。

そしてこの歌で唯一、彼女が思いの丈をぶつけるのが次の歌詞。

<どこから来て どこへ行くの / あんなに強く愛した気持ちも憎んだことも>――です。

けれど、それすら<今は昔>と、視点は再び静かなティールームに戻って歌は閉じるのですが、私がとりわけ「凄い」と思うのが、最後のこの歌詞。

<四月ごとに同じ席は / うす紅の砂時計の底になる / 空から降る時が見える / さびれたこのホテルから>――です。

散りゆく桜が見えるこの席を「薄紅の砂時計の底」と例え、空から「降る」時が見える、と。歌のタイトルの「経る」は経験の経=時間がたつという意味ですが、最後の「降る」は落ちてくる意味の「降る」。つまり掛詞(かけことば)です。徹頭徹尾、完成度の高い、「これを20代で書けるのか」と、私が打ちのめされた歌詞です。ぜひ歌を聴きながら、じっくり読んでみてください。

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう