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年商20万円から1億円に プロ野球界では心配された「優しすぎる性格」が養豚業で開花した 元ソフトバンク鷹のドラ1が目指す日本一の豚

ピンチに陥った家業を立て直すため、ソフトバンク一筋15年の元ドラフト1位が故郷・三重で第2の人生をスタートさせた。右の長距離砲として活躍した江川智晃さん(37)が取り組むのは養豚事業。目指すのは逆境からの日本一、第2の人生で再び頂点を目指している。

飼料に漢方を混ぜて育てる一志SPポークで勝負

江川さんが育てる豚


海と山に囲まれた自然豊かな三重県・伊勢市。近鉄・明野駅から伊勢湾を目指して15分ほど歩いたところに豚肉の精肉販売店がある。店頭に並ぶのは、元ソフトバンクホークス選手・江川智晃さん(37)が手がける自慢の「一志SPポーク」だ。矢頭山に囲まれた土地でのびのびと育て、飼料にオオバコやスイカズラなどの漢方を混ぜて与えることで体調管理にも気を配る。ストレスを軽減させることで、肉質は柔らかさが際立ち、脂が甘いのが特徴だという。

秋山幸二2世として期待された現役時代


江川さんは、今年のセンバツ甲子園にも出場している強豪・宇治山田商業(三重)からダイエー最後の年である2004年のドラフト会議で1位指名を受けてホークスに入団。高校時代は140キロ以上の速球を投げる投手としても活躍し、当時ホークスの2軍監督に就任したばかりの秋山幸二さんの後継者として注目された。入団後は、その秋山さんからつきっきりで指導を受け、プロ初安打はあの松坂大輔さんから放つ。2013年には自己最多の12本のホームランを記録した。しかし、その年以降、中々1軍に定着できずに2019年、33歳で引退。翌年から、球団スコアラーを担当することになった。

期待されながらプロ野球選手として存分に実力を開花できなかった理由として、「優しすぎる性格」もその一因ではなかったかと筆者は感じている。当時、試合の実況アナウンサーとして選手や球団を取材していたが、「江川は優し過ぎる。時には『周りを蹴落としてでも上に』という気持ちが必要なほど厳しい世界で、誰からも好かれる性格は少し心配だ」という声が聞こえていた。

母親の負担を減らすために故郷・三重へ 「替えのきく選手ではなく」


江川さんのターニングポイントは、コロナ禍に訪れた。これまで野球ばかりでなかなか両親と話す機会がなかったが、お互いの健康状態が心配で頻繁に連絡を取りあうようになった。そこで、家業の「養豚事業」が厳しい状況になっていることを知る。コロナ禍による需要の減少、飼料価格の高騰などもあって養豚で手一杯に。精肉や販路の確保ができず、こだわって育てた自慢の豚は、差別化されることなく、スーパーで他の畜産農家の豚肉と一緒に販売されていた。売上は年間20万円ほどだったという。

母親からは「このままでは精肉の販売を続けることは難しい。なんとか三重に戻ってくることはできないだろうか」と頼まれた江川さん。しかしすぐには決断できなかったと話す。

江川智晃さん(37)
「引退してすぐに職員として残してくれた球団を裏切ることにはならないだろうか。そして、一度離れてしまうと、きっともう二度と戻ることはできないだろう、という葛藤もありました。自分はまだ野球が大好きなのに。」

熟慮の末、故郷に戻ることに決めた。

江川智晃さん(37)
「家族を支えられるのは自分しかいない、という思いに至ったからです。プロ野球では正直、替えのきく選手だった。家業の養豚事業は世界中で自分にしかできない、という気持ちが湧いてきました。正直、引退を決めた時以上に、人生で一番悩みました。」

2021年1月、江川さんは、住み慣れた福岡を離れ、生まれ故郷の三重に戻った。
 

第2の人生は戸惑いだらけのスタート「豚肉の値段がわからない」

精肉する江川さん


江川智晃さん(37)
「これまで野球しかしてこなかったので、不安はすごく大きかったです。」

最初は、豚肉がスーパーでいくらで売られているかも知らなかった。先輩従業員から養豚や肉のさばき方を一から教わって、早朝4時半から精肉作業を行う毎日がスタートした。

江川智晃さん(37)
「従業員たちのお給料も払わないといけないし、自分も食べていくためにちゃんと稼がないといけない。肉の味は間違いない。一度食べてもらえれば必ずファンになってくれるはずだと信じて、“一志SPポーク”というブランド豚として店頭に並べてくれる店を探し回りました」

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