現地に赴き、五感で感じた煮干しへの思いを一杯のラーメンに満たしていく。
無化調麺をぼくなりのペースで追い求めていく本コラム。前回は北九州市の「大竜軒 本店」を紹介した。
今回は週に1度の間借り営業で一躍、話題の店となり、その後、店舗を構えた注目のラーメン店「煮干しのビリー」を取り上げる。
飯塚での間借り営業を経て、2024年11月、新たなスタートの場所として選んだのは福岡の郊外エリアにあたる宇美町。しかも、店舗は大通りから一歩入った路地裏にあり、さらに言えば一般的にラーメン店には不向きといわれる2階に構える。それにも関わらず、間借り営業時からの勢いそのままに、行列は日常風景。より一層のファンを得て、支持を集めている。
およそ3か月後に2周年を控える気鋭の店主・マツオカさんに今の心境を聞いた。
6月某日、マツオカさんは山口県にある周防大島にいた。その目的は、自身のラーメンづくりに欠かせない原材料の一つ、煮干しの漁場、そしてその製造現場を見学するためだ。昨年までは1人で足を運んでいたが、今年は交流のあるラーメン店主たちを誘い、見学に向かった。
「『煮干しのビリー』という屋号を掲げているのに、肝心の煮干しのことをよく分かっていませんというのは違うなと思ったのが見学のきっかけですね。イワシ漁や、そこで獲れたイワシの加工場に行くと、煮干しが自分の店に届くまでに、どれだけの苦労や努力、そして情熱が注がれてきたのか、目、耳、そして肌で感じられます。より一層、大切に使いたいという思いが湧き出てきて、それはお客様への感謝の気持ちへとつながるんです。店を営業する限り、これからも見学を続けていきたいと思っています」
現地に赴き、五感で感じた煮干しへの思いを一杯のラーメンに満たしていく。そんなマツオカさんのラーメンづくりは、その行動力が示すように、原材料へのリスペクトが根底にある。
「これまでに麺の原料となる小麦の畑も見学させてもらいましたし、ネギの生産者の方のところにも足を運んできました。やっぱり、実際に作り手のみなさんに会うと、感謝の思いと責任感が高まりますね。交流を持つことで相手の顔が浮かび、彼らのためにも絶対に最高の仕事をしたいと思えますから。今、一番行きたいところは北海道です。背脂やラードなどで使わせてもらっている『十勝ロイヤルマンガリッツァ豚』の飼育者の方を訪ねてみたいですし、羅臼昆布の視察にも興味があります。きちんと知った上で料理に用いたいんです」
マツオカさんは飲食業を営んでいた父親の影響もあり、幼少の頃から飲食の世界に進もうと考えていたが、最初から煮干しラーメンを作っていたわけではない。過去には福岡市内にある「酒と蕎麦 まき野」で修行し、和食の技術を身に付けた上で実家の居酒屋へと戻り、跡を継いだ。そんな折、コロナ禍に直面。居酒屋の営業が満足にできずに悶々とする中、飯塚市内の商店街で間借り営業を募集しているという話を耳にした。
「ラーメンが元々好きだったこともありますし、時間も十分にありました。それで、当初は趣味で豚骨ラーメンを作ってみたんですよ。ただ、やっていくうちに、ラーメンづくりがどんどん面白くなって。大好きだった煮干しラーメン店の影響もあって、うちの豚骨スープに煮干し出汁を足したらどうなるんだろうという、軽い気持ちから取り入れたのが煮干しラーメンへの入口ですね。何度も試作を重ねる中で手応えを感じてきたので、商店街の物件を借りてお客さまに提供することにしたんです」
当時は居酒屋の営業も並行していたため、その定休日だった月曜日のみという週1回のペースで間借り営業をスタートした。すると、営業をはじめて1か月も経たないうちに、開店前に行列ができるほどの話題となる。その後、飯塚だけでなく、交友関係のある飲食店での“間借り営業行脚”も実施。ずっとマツオカさんのそばに立ち、支え続けてきた女将からの快諾も背中を押し、居酒屋の暖簾を畳んで宇美町にラーメン店を開業するに至った。
「煮干しのビリー」で提供されるラーメンは開業時から常に進化してきた。もし職人を「自分のスタイルを頑なに守り続けるタイプ」か「良いと思ったものを柔軟に取り入れて変化し続けるタイプ」に分けるとしたら、マツオカさんは後者なのだという。もちろん、ただ闇雲にスタイルを変えるわけではなく、「ラーメンを美味しくするため」であれば、苦労も、そして変化も厭わないという意味だ。
現在の品書きは、完全に魚介系だけの食材で作る「淡麗煮干し」、そこに動物系の出汁を足した「煮干し中華そば」という大きく2種。「淡麗煮干し」は塩か醤油をお好みで選ぶことができる。
まず味わってほしいのが「淡麗煮干し」。スープの原材料には、水、羅臼昆布、そして山口県・周防大島産の「浮島いりこ」のみ。ほかには何も使わない。「煮干しは種類や産地をいろいろと混ぜたりせず、ここのカタクチイワシだけを用いています。水揚げされたものをすぐに加工したフレッシュな状態で届けてもらえるので、風味が段違いなんです」とマツオカさんは言葉を弾ませる。
このいりこの風味を引き立てるため、調味は必要最小限。初期の頃には出汁を効かせた元ダレ(かえし)を作ってスープに合わせていたが、それも「いりこのピュアな味わいが損なわれる」という理由でやめた。今は山口「桑田醤油」が手掛ける杉樽仕込みの「生揚げ醤油」と京都「五光醤油」による「再仕込み醤油」という2つの醤油を単純にブレンドし、使っている。
店では取り立てて謳ってはいないが、「煮干しのビリー」は開業時からずっと無化調。ただその理由は単純明快で、マツオカさんは「入れる意味がないから」とさらり。「いりこから力強い出汁が十分すぎるほど出ますので、必要ないんですよね。元ダレすら作らなくなったくらいですから」と続けた。
実際に食べてみれば、その言葉が偽りなしだと理解できる。強火でしっかりと煮出すことで、煮干しのポテンシャルを極限まで引き出す。その使用量は圧倒的。厳選した食材でも惜しみなく投入するのがマツオカ流だ。「『まき野』さんで学んだ出汁の経験が生きました」と微笑むマツオカさん。煮干しの使い方には独自の哲学があり、何よりも大切にしているのが全体のバランスなのだという。
「スープまで飲み干せる一杯。車に戻る途中で、ふんわりと『ああ、美味しかったなあ』と思い出してもらえるような、そんな味を理想に掲げています。煮干しの出汁は濃厚に取りますが、だからといってその力強さというインパクト頼みのラーメンを作っているわけではないんです。旨味、塩気、そして油分。すべての要素が調和して、僕の中でいきれいな五角形を描くような味わいを求めています。そういう考えもあって、丼の中に入れるもの、ラーメンの構成要素のすべてに使うべき理由があり、語り尽くしたい思いがあります」
スープを口に含むと、目の前に海が広がるような感覚をおぼえた。生き物から、この液体はできている。そんなことも思った。出汁の躍動が、食べている間、ずっと感じられるのだ。そのスープをしっかりと絡めとる特注の麺。しっとりとやわらかな口当たりの切り立てチャーシュー。シャキッとした食感と爽やかな清涼感をもたらすネギ。海苔の磯の香りも絶妙なアクセントだ。麺をすするたびに、鼻腔に煮干しの風味が抜けていき、箸を持つ手が止まらない。スープまで飲み干せる一杯―――マツオカさんが掲げる理想は、目の前で現実となり、良い時間だったなと、心が温かくなる。
「命懸けで働く漁師さんに負けないくらいの気迫でラーメンを作っています。ここがぼくの舞台です」
見上げれば、天井にはスポットライト。気がつけば、まるでライブのステージのような照明が当たっていた。
店内はカウンター8席。そこを見渡せるように配してある待合用の椅子に座ると、さながらライブ観戦をしているかのような高揚感に包まれる。
煮干しラーメンの本場、青森の“朝ラー”文化にならい、この「煮干しのビリー」でも開業時から朝9時という開店時間にしている。ぼく自身、初めてここに来たのは午前中のことだった。朝から清らかな味わいの煮干しラーメンを食べ、心地よく帰路につく。「さあ、今日も1日、がんばろう」という前向きな気持ちになれたのは、マツオカさんのラーメンが、そういう想いで作られているからだろう。
最後に一つ質問をしてみた。マツオカさんにとって、「美味しさ」とは何なのか。
「感動であり、心が震えることでしょうか。自分が作ったラーメンを通じてそういったものを伝えられれば、これ以上に嬉しいことはありません。例えば、嫌なことがあっても、うちのラーメンを食べた後に心が晴れたり、誰かにやさしくなれたりするような。そんな一杯を作り続けていきたいですね」
ちょっとゆるやかに、だいぶやわらかに、かなり確実に、独自のラーメン道を歩み続けるマツオカさん。まだ「煮干しのビリー」の第二章は始まったばかりだ。マツオカさんが思い描く世界の終わりには、まだほど遠い。
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