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ウクライナ政府のツイッターから考える戦争と「人々の見方」への影響

ウクライナ政府のツイッターに、ヒトラーとムソリーニと昭和天皇とが並べられた動画が発信され、日本政府からの抗議で昭和天皇のシーンが削除されるという問題が起きた。ロシアとウクライナ双方が「情報戦」を仕掛けている中で起きた、一つのエピソードだ。RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した神戸金史・RKB解説委員は、沖縄と本土の関係にも考えを広げつつ「戦争のもたらす傷は何十年も続く、という例だ」とコメントした。  

世界的に見れば今も残る「日独伊三国同盟」という捉え方

神戸金史・RKB解説委員(以下、神戸):4月26日の朝刊各紙に、昭和天皇とヒトラーとを並べて投稿したウクライナ政府のツイッターに対し、日本国内からの批判が高まり、ウクライナ政府が謝罪したという記事が出ていました。

 

武田伊央アナウンサー(以下、武田):「現代ロシアのイデオロギー」と記した英語の字幕から始まる1分21秒の映像で、プーチン大統領の演説などが映し出され、ロシアの差別主義を非難しています。問題の場面は、1分11~14秒付近で「ファシズムとナチズムは1945年に敗北した」と記し、昭和天皇ら3人の顔写真を並べていました。

 

神戸:ロシアとウクライナで行われている情報戦の一環で、こういったツイッターの映像が出ました。さすがに不用意だったと思います。

 

田畑竜介アナウンサー(以下、田畑):ウクライナ政府は「誤りを犯したことを心からお詫びします。友好的な日本の方々を怒らせるつもりはありませんでした」とツイッターに投稿して、動画から昭和天皇の顔写真だけを削除しました。

 

神戸:どんな反応が来るか考えてなかったのでしょうか。日本政府も「ヒトラーとムソリーニと昭和天皇と同列に扱うことは全く不適切」と遺憾の意を述べています。ただ、昭和天皇に対する私達の思いは、国外の方からしたら分からないのでしょう。第2次世界大戦がヒトラーのナチスドイツと、ムッソリーニがファシズムの指導者だったイタリアと、日本の「日独伊三国同盟」と連合国軍が戦ったという経緯からすれば、こういった表現の仕方は世界的には一般的なのかもしれません。でも、戦争中に仲間を増やそうとしている情報戦の中で、ウクライナ支援を明確にしている日本にセンシティブな話題を出す必要はないわけです。

国内でも天皇に対する見方はさまざま

神戸:一方で、戦争による大きな傷によって、後に残った人たちには複雑な思いがたくさんあるわけです。ちょうど今日(4月26日)の西日本新聞朝刊「風向計」というコラムで、吉田賢治記者が沖縄のことについて書いていました。「(あさって)4月28日はサンフランシスコ講和条約が1952年に発効し、日本が主権を回復した日である」と書き出しているんですが「一方、米軍統治が継続され、日本と切り離された沖縄にとっては『屈辱の日』として県民の記憶に刻まれている」。非常に良い記事だと思いました。

 

神戸:1945年に戦争が終わってからも7年間、日本は占領下にありました。米軍が日本国内を闊歩する。それに対して抵抗できないという状態です。今のウクライナ国内で、ロシア軍が占拠している地域に暮らす人々の気持ちと近いものがあったかもしれません。ただ、1952年以降も沖縄・奄美はそれが続きました。

 

神戸:昭和天皇が連合国軍宛に出したメッセージが公文書に残っています。「天皇メッセージ」と言われているものですが1947年9月に昭和天皇は「米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む」というメッセージを出しています。

 

神戸:その5年後にサンフランシスコ講和条約が発効して日本は主権を回復しましたが、沖縄は米国の占領下のまま残りました。このあたり、沖縄に非常に微妙な感覚を与えているわけですね。ウクライナのツイッターについて、世界史的なものの見方と、日本の見方が違うと言いましたが、天皇については国内でも、いろいろなものの見方があるわけです。

戦争はその後数十年にわたって「ものの見方」に影響する

神戸:沖縄が復帰したのはちょうど50年前の1972年。当時の山中貞則・総理府総務長官は「償いの心を持って事に当たるべきである」と訴えました。沖縄に対して申し訳ないという気持ちが、本土の中でかなり強く持たれていたということが、はっきり分かる言葉です。

 

神戸:ところが「『償いの心』が原点だったはずの振興策が『基地の過重負担を維持することが目的』」になっていってしまったのではないか、と西日本新聞のコラムは指摘しています。僕もこの通りだと思うんですよ。

 

神戸:「主権回復の日」である4月28日。2013年には当時の安倍政権が、日本の独立を認識する節目の日だということで、初めて式典を開催しました。この式典の終了間際、会場内から突然「天皇陛下万歳」という声が上がって、みんなで万歳したと報道されています。これに対して、沖縄の方々は非常に微妙な感覚を持ったようです。ちょうどその「主権回復の日」の式典と同日・同時刻、沖縄では「『屈辱の日』沖縄大会」が開催されていたんです。

 

神戸:というように、戦争は大きな傷を残します。いろいろな人の見方に影響を与えるということです。単にウクライナが3人の顔を並べたことに怒る、ということだけでは、どうかなと思います。今ウクライナで繰り広げられている戦争が今後何年、何十年影響していくのか、ということとも関係してきます。そんなこと今日の朝刊を見て考えていました。

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