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笑顔を運ぶ“博多の傑作饅頭”!明月堂の「博多通りもん」

暮らしカイシャテインメント

軽部明香里

年間売り上げ75億9000万円!2019年には「最も売れている製菓あんこ饅頭ブランド」としてギネス世界一にも認定された、日本を代表するお菓子。そんな“キングオブ福岡土産”といえば…?

そう、おなじみ明月堂の「博多通りもん」だ。全国各地に笑顔を運ぶ“博多生まれの傑作饅頭”の誕生秘話と、ヒットの裏側に迫る。

旅立つ直前まで買える販売戦略 !


九州の玄関口・博多駅の至る所で目に入る「通りもん」。福岡土産には欠かせないという人も多いと思うが、一体どれくらいのお店で買えるのか想像がつくだろうか。

実は、博多駅のお土産物スポット「博多デイトス」と「マイング」だけで直営店が4店舗。コンコースや改札内、百貨店まで含めると、博多駅エリア全体でなんと22か所で売られているというから驚きだ。

「通りもん」誕生秘話


3代目・秋丸真一郎社長に、明月堂の歴史を伺った。
明月堂は、1929年(昭和4年)福岡市天神で産声を上げた。創業当時はお菓子の製造卸売り企業として成功を収めていたが、創業者・秋丸祐一郎の“お客様に直接商品を届けたい”という思いから川端に店舗を構え、販売を開始。売り上げも上々で、昭和30年代の主力商品はカステラだった。“カステラの明月堂”と言われるほどだったが、1975年(昭和50年)山陽新幹線が全線開通すると、本場長崎のカステラメーカーが福岡に進出、明月堂はカステラでの商いが立ち行かなくなってしまった。そんななか“これまでにないお饅頭を作ろう”という声が上がり、長い研究開発の末1993年(平成5年)に誕生したのが「博多通りもん」だった。

明月堂のものづくりの歴史の積み重ねが、大ヒット商品を生んだのである。

しっとり感の秘密は“黄金の4日間”!


1日に24万個から26万個も生産され、年間で6300万個以上販売されている通りもんは、全て博多の本社工場で作られている。29年間“メイドイン福岡”を貫いてきたのは、変わらぬ品質とおいしさにこだわる明月堂のポリシーだ。

通りもんといえばあの“しっとり感”が印象的だが、この工場の中にその秘密が。実はあえて、製造から最低でも4日間、工場で寝かせているのだという。

焼きたての通りもんはホカホカで、表面の水分は湯気となり外に出てしまう。そこで温かいうちに袋詰めし寝かせることで、袋の中で水分が戻り、しっとり感が生まれる。この工程が、試行錯誤の末に弾き出した“黄金の4日間”なのだ。

大ヒットの火付け役は“空港”

通りもん大ヒットのカギとなったのは“福岡空港”だったという。

通りもんが誕生した1993年当時、空港の売店に新しい商品が参入するのは至難の業だった。しかし、空港ビルのリニューアルと通りもんの発売のタイミングがバッチリ合い、新発売の福岡土産として販路が開けたのだ。

さらに斬新なパッケージが大ヒットに繋がった。明月堂は、空港を利用する全国各地の旅行者にどうすれば手に取ってもらえるかを研究。その結果、売店では置きづらいなどの理由で敬遠されがちな“正方形”の箱をあえて採用。目立つ黄色の包装紙と、ネーミングの由来ともなった博多どんたくの町人行列“通りもん”をイメージしたデザインの存在感で、福岡土産を求める客の目を引き付けた。

空港での売り上げは、今や全体の3分の1ほどを占めるまでになった。

2023年には発売から30年を迎える。押しも押されもせぬ博多銘菓となった「博多通りもん」のこれからを、社長に聞いた。

「『博多通りもんは違うとぜ!』『これが一番やろが』と仰っていただけるように、ずっと愛してもらえるように、かわいがってもらえるように、作り続けていこう。そういう思いです」

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この記事を書いたひと

軽部明香里

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アナウンサー、ナレーター、タレント、記者、そしてライター。東北で生まれ育ち、東京経由で九州へ。大好きな福岡と東京を拠点に活動中。またの名は、訛りすぎるアナウンサー・酒田倉子。時々出身地の山形弁を話す。<br>所属:<a href="https://litomon.jp" target="_blank" style="text-decoration: underline;">リトルモンスターエンターテインメント</a>