アメリカの公民権運動を前進させた実話・エメット・ティル殺害事件を映画化した『TILL』が日本でも公開されている。音楽プロデューサー・松尾潔さんは12月18日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で「人種差別を考えるきっかけにしてほしい」と語った。
『TILL』日本公開
『TILL』と言われても、それが何のことなのかわからない方がほとんどかと思います。これは、1950年代にエメット・ティルという少年が不慮の死を遂げたということがあって、それを映画化したものです。
もう少し詳しく説明すると、1955年の夏。当時のアメリカ、特に南部の方ではではまだ人種隔離制度が強く残っている時代です。南部のミシシッピは本当に強い黒人差別が蔓延っていました。
そこにアメリカ北部の大都市・シカゴから14歳のエメット・ティルという黒人少年が訪れました。母親・メイミーさんが南部の出身で、その郷里を訪ねて親戚のうちに滞在していたんです。
現地の同世代の友達と連れだって、地元の食料雑貨店に行くんです。その食料雑貨店は白人の夫婦が営んでいて、店主の妻に向かって、エメット少年が口笛を吹いたそうなんです。するとその後、その場にいなかった夫である白人店主が妻からその話を聞いて「生意気なやつだ」と大変腹を立てた。
店主は兄弟とともにその4日後、14歳の少年エメットを拉致して、リンチを加えた挙げ句、銃で撃ち抜いて、川に死体を遺棄しました。これは白人から見れば不敬罪ということになるかもしれません。とはいえ重すぎる話ですよ。
これが当時、全員白人の陪審団によって無罪になってしまうんですね。いろいろな人たちの目撃もあったにもかかわらず、それは好ましくない振る舞いをした黒人少年に対しての白人青年男子たちからの懲罰であると。懲罰であって殺人ではない。陪審団はそういう判断でした。
だこれは後になって、リンチを加えた側が雑誌の取材に答える形で詳細をつまびらかに話しているから、今こうやって我々は全貌を知ることになるわけです。そして、エメット少年の母親は泣き寝入りしませんでした。実は当時、泣き寝入りした人たちはたくさんいるんです。
この母親、メイミーは当時としては珍しく、女性でありながら空軍で働いていて、NAACP=全米黒人地位向上協会の一員でした。そのメンバーの協力を得る形で、この事件について全米で講演をして回るんですよ。
息子が亡くなったときも、メディアを呼んで棺の蓋を開け、その無残な姿をあえて公開もしました。それで当時の全米でセンセーションになって、どんどん世論を味方に付けていく形で、少しずつ「人種隔離制度が残る世の中はどうなんだ」と疑義を呈する運動が実っていくんですね。
ボブ・ディランもエメット少年の死を歌った
このエメット・ティル少年の死について、どこかで聞いたことある方もいるかもしれません。実は1962年に当時まだデビューしたばかりのボブ・ディランが「ザ・デス・オブ・エメット・ティル」という曲をレコーディングしています。これは「風に吹かれて」が入っているセカンド・アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』に収められるはずだったんですが、収録が見送られました。
ところが、1963年にキング牧師の「I Have a Dream」という演説で知られる公民権運動「ワシントン大行進」のステージにボブ・ディランが立って、この「ザ・デス・オブ・エメット・ティル」を歌ったと、歴史に語り継がれています。今では当時収録が見送られた音源もCD化されています。
声を上げた人がいたからこそ、世界が変わった
エメット・ティル少年のような男の子は当時たくさんいたはずです。ですが、母親のように訴えるには、当時大変な勇気が必要でした。いろんな脅しにも耐えながらの行動です。息子の死を無駄にさせないと声を上げたことで、結局これが1964年の公民権法の制定に繋がっていくんですね。
何が言いたいかというと、われわれは悲しみに包まれてしまったときに、閉じこもってしまいがちですし、そういう弱さがあるのが人間だと思うんですが、そこから立ち上がって、更に声を上げる人がいたから、今の日常があるということですね。誰かが声を上げたから変わったんです、いい方に。
昨年、初めて劇映画化され、いま日本で公開されています。その日本でも100年前の関東大震災のとき、あってはならない虐殺が起こりました。それは今年『福田村事件』という映画で描かれましたが、あれと時を同じくして今公開されているということに、人間の営みがゆっくりではあるけれども少しはいい方に向かっているのかなと思います。
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