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5月22日放送のRKBラジオ『立川生志 金サイト』に元サンデー毎日編集長・潟永秀一郎さんが出演。今春、大学の特任教授に就任した潟永さんが「国語教育の今」をテーマにコメントしました。
高校国語の現状と「小説」が必修から外れた理由
お恥ずかしい話で、肩書こそ特任教授ですが、実際のところ前期と後期で1回ずつ講義をするだけの、まあ講演会の演者みたいなものです。「メディアと経営」というテーマなんですが、実は今月、その1回目を終えて、講義の最後に、この番組の話もしました。「ラジオ聴いてね」と(笑)。
ついでに余談で、(毎月一回放送している)「この歌詞が凄い」の話もしまして、「長く残る歌は歌詞がいい。本や新聞を読んでほしいけど、心に残る歌があれば、ぜひ歌詞も読んでみてほしい。そういう積み重ねが、若い皆さんの心のひだを増やしてくれるはずだ」という話もしました。
どこまで伝わったかは分かりませんが、私は、10代から20代にかけて読んだたくさんの小説や、見た映画、擦り切れるほど聞いた音楽や歌詞などに、私なりの感性を育ててもらいました。
そんなことをしみじみ振り返っていたら、毎日新聞にこんな記事が出ていました。「高校国語、再び小説重視 AI時代に感性を」という見出しで、論理的な文章や実用文を題材とする「論理国語」に偏った、今の学習指導要領の構成を見直して、小説などの文学作品に触れる機会を増やす案を、文部科学省が中央教育審議会に示した――という内容です。
具体的に説明しますね。今の指導要領では、国語で1年生の必修は、論理的・実用的文章を学ぶ「現代の国語」と、古典を中心に日本語の歴史や文化を学ぶ「言語文化」の2科目。
その後、主に高2以降で学ぶのは▽論説文や評論、契約書などを素材とする「論理国語」▽小説などを扱う「文学国語」▽古文・漢文を学ぶ「古典探究」▽ディスカッションや小論文、リポートなどを扱う「国語表現」――の四つで、どの授業をするかは学校側に任せられています。
ところが、「解釈の仕方によって、必ずしも正解が一つではない」文学作品の読解は、大規模な試験には不向きということもあって、大学入学共通テストで出題されるのは主に「論理国語」と「古典探求」の内容です。
このため、特に進学校では「文学国語」を扱わない傾向があって、文科省によると「論理国語」と「古典探求」の履修率が7割を超えるのに対し、文学国語は5割弱にとどまっています。つまり、高校3年間の国語の授業で、小説や詩などの文学にほとんど接しない生徒が半数以上いるんです。
生成AI時代に求められる「心」の領域と文学の価値
けれども、今や「AIの時代」です。論理的な文書や契約書、法的文書などの読解や作成は、AIが最も得意とする分野で、実用私も、契約書のリーガルチェックとか、報告書の作成や要約などで、結構、生成AIを使っています。
一方でAIは、理屈では割り切れない人情の機微や、揺れる思い、言葉とは裏腹な本音といった、私たちが「心」と呼ぶ領域の理解や分析は、必ずしも得意ではありません。
その前提に立てば、多感な10代に生成AIで代替可能な実務能力を高める授業に偏らず、人の心情を読み解き、考え、受け止める力がつく文学の授業も増やしよう――と、そういう話です。
ただ、高校の国語の授業が今の形になったのは4年前、2022年度からです。2018年に告示された新しい学習指導要領が22年入学の高校1年生から適用されたんですが、それ以前(2003年から2021年まで)は「国語総合」という必修科目が設定されて、論説・小説・古文・漢文を総合的に学び、ほかに現代文や古典、漢文などが選択科目で設定されていました。
つまり2018年の学習指導要領改訂以前、教科書で言うと2021年度入学の1年生までは、国語の必修科目の題材に小説などの文学が入っていたのに、外れたのはここ数年で、2030年前後とみられる次の改訂では再び、文学が必修の素材になる見込みです。
ではなぜ、前回2018年の改訂で文学が必修科目から外れ、論理的・実用的な文章を学ぶ「現代の国語」に置き換わったのか。背景には大きく言って二つの事情がありました。
一つは、産業界・経済界の要請です。改訂の議論が始まった当時、経団連などは国語の授業が文学偏重=「なぜ主人公は泣いたのか」的な、情緒的読解に偏り、「論理的に考え、表現できる人材が不足している」と訴えて、文科省の審議会にもそうした意見が反映された結果、2018年改訂のテーマは「社会に開かれた教育課程」=有り体に言うと、仕事に役立つ、社会人としての基礎的能力に直結する国語力の育成に向けられました。
2度の「PISAショック」と実用性重視への転換
さらにその背景というか、根拠の一つとされたのが「PISAショック」でした。PISA(P、I、S、A)と書くんですが、まずはこの説明からします。
PISAは、OECD(経済協力開発機構)が2000年からほぼ3年ごとに実施している「学習到達度調査」です。対象は15歳。参加国は当初32か国でしたが、今は80か国以上です。科目は国語(読解力)、数学(数学的リテラシー)、理科(科学的リテラシー)で、知識というよりそれをどう実生活に活かせるか、という活用力を重視しています。
日本は全体に常に上位にあり、特に数学と科学に関しては、ほぼずっと5位以内という高い成績を収めています。ただ、国語=読解力は他の2科目より低めの結果が続きました。
例えば2000年の第1回、数学は1位、科学は2位だったのに、読解力は8位でした。ただ、この時は「意外に低かったね」くらいの受け止めだったのですが、2003年の第2回では14位に急落して、「PISAショック」という言葉が生まれました。2006年の第3回はさらに順位を下げて15位。しかも、この時は数学も10位、科学も6位に落ちて「日本の学力低下は本物だ」という危機感が、教育関係者の間で高まりました。
原因扱いされたのが「ゆとり教育」です。 98年から99年にかけての学習指導要領の改訂では、授業時間や学習内容をおよそ3割減らし、「総合的な学習の時間」を設けるなど、「知識の“詰め込み”から、自ら考える力へのシフト」を目指しましたが、これによって基礎学力が落ちた、という批判です。
結果、2004年から文科省や中央教育審議会で「ゆとり教育見直し」の議論が始まり、第1次安倍政権下の2006年に「学校評価の義務化」などを含む教育基本法の全面改定が行われ、翌2007年から「全国学力テスト」が始まりました。2008年に告示された学習指導要領では、授業時間や内容を増やすなど「脱ゆとり」路線が打ち出されました。
では、この間、国語(読解力)の順位はどう推移したか。2009年の第4回は8位と上昇し、2012年の第5回では4位へ急上昇しました。ゆとり批判派は「見直しの結果」だと言い、ゆとりを推進した側からは「考える力を育てる教育が、時間を経て実を結んだ」と言いますが、どちらが正しいかはわかりません。
ただ、脱ゆとり教育が全面実施された後の第6回、2015年には再び8位に下がり、2018年の第6回ではまた15位に急落しました。これが2回目のPISAショックです。
話は最初に戻りますが、この2回目のPISAショックを受けて、2018年に告示された今の学習指導要領で、高校生は論説文や評論、契約書などを素材とする「現代の国語」が必修となり、小説などを題材とする「文学国語」は選択科目になりました。
繰り返しになりますが、より実用的な国語教育に重点が置かれたわけです。で、PISAの結果はというと、2022年の第7回では過去最高の3位に急上昇しました。要因はさまざま言われますが、学習の面ではPISAの出題傾向に近い「全国学力テスト」が定着し、今の学習指導要領でPISAが求める「主体的・対話的学び」や「論理的読解力」を重視したことなどが言われます。
と、まぁ、日本の国語教育は2度のPISAショックを受けて大きく変わり、今は社会的な要請もあって、論理的な思考や実用文を重視しているわけですが、今度は「AIの急速な進歩」という想像を超えた社会の変化で、AIでは代替できない人間性=人の心情を読み解き、考え、受け止める力がつく文学の授業を増やす流れに、戻りつつあるわけです。
ただ、紆余曲折はあったものの、私はこの「人間性回帰」ともいえる流れは歓迎する一人です。というか、そもそもPISAの順位に一喜一憂するのもどうかと思っていましたし、その対策みたいな授業やテストをして順位を上げても、あまり意味がないとすら思っていました。
それよりも、山中伸弥さんが「日本では研究者の地位があまりにも低い」と嘆いたり、大隅良典さんが「このままでは日本人からノーベル賞受賞者は出なくなる」と危惧するなど、歴代のノーベル賞受賞者が訴える「大学の基礎研究力の低下」のほうが、PISAの順位なんかより、よほど問題だと思っています。
「ゆとり教育」の功罪と世界に羽ばたいたスーパー世代
最後に余談ですが、学力低下で批判の矢面に立った「ゆとり教育」。世代的には1987年から2004年生まれで、学校の週休2日制が月1回で始まり、10年後に完全導入されたのも、この時代でした。特に1989年から96年生まれは、ど真ん中の「スーパーゆとり世代」とも言われ、じゃあどんな人がいるんだろうと調べて、驚きました。
まずはスポーツ選手が凄い。代表格はご存じ大谷翔平選手で94年生まれ。鈴木誠也選手も同学年ですよね。テニスでは錦織圭選手、体操では内村航平選手が89年生まれ、格闘技ではボクシングの井上尚弥選手が93年、フィギュアスケートの羽生結弦選手が94年、サッカーでは香川真司選手が89年、柴崎岳選手が92年、南野拓実選手が95年生まれなどなど、世界に羽ばたいたアスリートが次々育っています。
またミュージシャンでは、米津玄師さんやOfficial 髭男dismの藤原聡さんが91年生まれ、以下92年がKing Gnuの常田大希さん、94年がYOASOBIのAyaseさん、95年があいみょん、96年がMrs. GREEN APPLEの大森元貴さん、スーパー世代の一つ下、97年には藤井風さん――と、まぁすごいでしょう!
このほか作家では『イン・ザ・メガチャーチ』で今年の本屋大賞を受賞した朝井リョウさんが89年生まれ。漫画家では「呪術廻戦」の芥見下々さんと『チェンソーマン』の藤本タツキさんが92年生まれ――などなど、まさに「クールジャパン」の代表格の方々ですよね。人は世代で簡単にはくくれませんが、少なくともスポーツやカルチャーの分野では「ゆとり世代・万歳!」ですよ。
ここから見えるのは、教育はPISAの点数とか、ある一面だけで見てはいけないということ。そして改めて、教育=人材育成は国の未来と直接結びつく、大切な仕事だと痛感します。山中伸弥さんらが訴える「大学の基礎研究への支援」も含めて、政治家の皆さんには目先にとらわれず、国家100年の大計として教育を考えてほしいと切に願って、今日は閉じます。
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この記事を書いたひと

潟永秀一郎
1961年生まれ。85年に毎日新聞入社。北九州や福岡など福岡県内での記者経験が長く、生活報道部(東京)、長崎支局長などを経てサンデー毎日編集長。取材は事件や災害から、暮らし、芸能など幅広く、テレビ出演多数。毎日新聞の公式キャラクター「なるほドリ」の命名者。






















