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夜景スポット・山口県下関市の「火の山」は明治時代“要塞”だった!?

北部九州・山口のコミュニティFM各局とRKBラジオによるコラボ番組『ローカる!』。地域密着のコミュニティFM局のパーソナリティにとっておきの街ネタを紹介してもらう。6月12日(日)は山口県・下関市にあるCOME!ON!FMのパーソナリティで、下関市観光スポーツ文化部観光政策課主任という二足のわらじを履く、たなか~る先生こと田中洋一さんに、夜景スポットとして市民に愛されてい火の山のもうひとつの姿を見せてもらった。(報告・RKBラジオディレクター荒木風花)  

狼煙をあげる山から夜景や月を楽しむ山へ


たなか~る先生:今日は火の山に登ります!

 

荒木:…燃えているんですか?

 

たなか~る先生:それは実際に見て確かめてほしいですね…(意味深)

 

(ロープウェイで移動)
10分間のロープウェイでの空中散歩。そこからは船が行き交う関門海峡が一望できる。火の山駅に着くと、駅舎の屋上へ。そこからは3つの海がぶつかる様子を見ることができる。左から瀬戸内海、周防灘。その先に見える山影は大分県の国東半島。天気がいいとはっきり見ることができるそうだ。この場所から見える関門海峡には、こんな秘密が隠されていた。

 

たなか~る先生:ここが一番海峡で狭い(約700m)「早鞆ノ瀬戸(はやとものせと)」です。まさに源平船合戦が行われた場所です。そこに関門橋がかかっているんです。その奥に行くと巌流島、彦島があります。右手には日本海側の響灘、北九州の方向を一望できますよ。まさに瀬戸内海と日本海がぶつかる場所になるんです。
そんな眺めが最高な「火の山」の名前にはいったいどんな意味があるのだろうか。

たなか~る先生:火の山は狼煙(のろし)をあげる場所だったと言われています。これが名前の由来です。昔は電話やインターネットがなかったので、いろんなものを伝えていく方法として狼煙が使われていたんです。敵が攻めてきたら狼煙を高い山=火の山であげてみんなに知らせる、そんな役割がありました。

 

荒木:ということはみんな火の山を注目していたんですね。

 

たなか~る先生:そうです。火の山の眼下では歴史の教科書にも載っている「壇ノ浦の戦い」「源平の戦い」がありました。幕末には長州藩と外国4か国の連合艦隊が戦争したりと、関門海峡は時代が変わる戦いで必ず出てくる場所だと言われています。
今は夜景スポットとして市民に愛されているそうだ。それに加えて…

たなか~る先生:夜景がとってもきれいなんです。下関側はもちろん、対岸の門司側もきれいに明かりが灯り、両岸を一望できるんです。さらに昨年、関門海峡にのぼる月が「日本百名月」のひとつに選ばれたんです。瀬戸内海から日本海に沈む月もぜひ楽しんでいただきたいです。

「もうひとつの火の山」かつて要塞があった場所へ

本番はここから。たなか~る先生が提唱する「もうひとつの火の山」を目指し、山頂へ。

荒木:もうひとつの火の山とはいったい…!?

 

たなか~る先生:実はこの火の山、明治時代から「下関要塞」と呼ばれていたんです。砲台などの軍事施設がありました。関門海峡を通る船を見張る大事な場所だったんですね。当時の建物の跡が今も残されています。
そこには人がいた痕跡が多く残されていた。まず目の前にある「防空壕」のような建物の地下に行ってみた。

たなか~る先生:敵から攻撃を受けると危険なので、このように地下に施設を作ったようです。後から設置されたであろうテーブルとイスが置かれていますが、この場所で会議をしたり、偵察したりしていました。ここは要塞地帯だったので、今のように簡単に写真も撮ることができない。機密事項なんです。撮ると罰せられ、写真も取り上げられてしまいます。それぐらい重要な場所だったんです。
さらに別の要塞施設へ移動すると…

荒木:ここは「第四砲台」と書かれています。

 

たなか~る先生:指令室や観測所、砲座の跡がありますね。攻撃を受けないように「堡塁」という防御壁を作っていたり、小さな入口が特徴の弾薬庫があったり。兵舎もあります。こういう施設が点在しているのが火の山なんです。
さらに森の茂みの中には大きな地下施設・第12合があった。行ってみると声が響く、ひんやりとした空間だ。敵に見つからないように茂みの中にあり、今もひっそり残っている。さらにその一室にはキッチンのような空間があり、かまどの跡も見つかった。ここでたくさんの人が働き、寝食を共にしていた様子もうかがえた。この下関要塞、敵から砲撃されたという記録は残っていない。砲座にのぼってみると…

たなか~る先生:ここには砲座のほかに観測所や指令室もあります。砲座と先程の第12合が階段でつながっていて、いざという時に弾薬を急いで運ぶことができます。指令室では偉い人たちがこの場所で指示を出していたようです。久しぶりに来てもすごいな…と感じます。
この下関要塞、廃墟マニアの間では話題になっているそうだ。さらにとっておきの見どころがあるということで、要塞を後にし、関門海峡が一望できる場所へ向かう。そこにあったのは戦艦「大和」の弾丸だった。これは乗ってきた火の山ロープウェイが開通したことを記念して寄贈されたもの。火の山は景色だけではなく、日本の歴史に思いを馳せることができる場所だ。火の山の新たな取り組みについてもたなか~る先生に聞くことができた。

たなか~る先生:火の山のテレビ塔の近くには昔、回転しながら食事を楽しむことができる回転レストランがありました。もうなくなってしまいましたが、これから火の山という場所は、観光地としてさらに整備をしていかなければなりません。アスレチック施設なども考えています。もっともっと多くの人たちが来てくれるような「明るい火の山」を目指します。どんな風に変わっていくのか、注目してください!
 

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