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音楽プロデューサー・松尾潔が俳優デビュー!?大瀧詠一のMVで演技初挑戦

100通り近くカバーされるほど愛されているポップミュージックの金字塔「夢で逢えたら」。その作り手である大瀧詠一自身が歌った7インチアナログレコードが8月3日にリリースされ、オリコンシングル・デイリーランキングで異例のトップ10入りを果たした。また、あわせて公開されたミュージックビデオはストーリー仕立ての約18分。そこで父親役を演じたのは音楽プロデューサー・松尾潔氏。演技初挑戦の舞台裏を、RKBラジオ『田畑竜介Grooooow Up』で語った。  

29歳の映画監督がデビュー作の主題歌に選んだ「夢で逢えたら」

今、全国で公開されている『ぜんぶ、ボクのせい』という映画があります。監督を務める29歳の松本優作さんにとって、商業映画のデビュー作です。オダギリジョーさんや仲野太賀さん、松本まりかさんという、今の日本映画界を支えるような人たちも出演しているんですが、中心になっているのは白鳥晴都さんというまだ中学生の男の子と、川島鈴遥さんっていう若手の女優さん。今の日本の構造的な貧困問題とか、そういうものをドラマ化したものですが、主題歌に使われているのが、大瀧詠一さんの「夢で逢えたら」なんです。 「夢で逢えたら」は最初、吉田美奈子さんが歌ったものが1976年にリリースされました。その後、1996年にラッツ&スターがカバーしました。吉田さんの20年後のカバーなんですが、このときに初めてオリコントップ10入りして、この年の暮れには紅白歌合戦で歌われました。最前線に躍り出るのに20年かかっているんです。今、そこからさらに25年ほど経っているわけですよね。

 

大瀧詠一さんといえば、日本のシティポップの原点とされるようなアルバム「A LONG VACATION」でも知られますし、元々、はっぴいえんどというロックバンドで、日本語ロックを牽引する役割を担ったという歴史上の人物みたいなっていますよね。残念なことに2013年の暮れに65歳でお亡くなりになったんですが、「夢で逢えたら」は大瀧さん自身も、実は80年代に密かにレコーディングしていました。その大瀧さんバージョンは亡くなった翌年、2014年に世に出ました。

 

さらに、吉田美奈子さんのバージョンから42年経った2018年には、「世の中にいろいろなカバーで出ている『夢で逢えたら』を全部まとめてみよう」っていう企画があって、その時点で86曲ありました。そのCDボックスは4枚組になりました。

 

あれから4年経っていますから、もう今カバーは100曲近くになっているかもしれません。日本には根付きにくいとされてきたポップミュージックのスタンダードの1曲じゃないかと思います。

スピンオフ作品のミュージックビデオで父親役として登場

その曲を、リリースされたときにはまだ生まれていなかった松本優作監督が自身のデビュー作で主題歌に使いました。で、その松本優作監督が、大瀧詠一さんバージョンの「夢で逢えたら」のミュージックビデオがこれまで存在してなかったことに着目して、映画のスピンオフ的な感じで、18分あまりの長編のミュージックビデオを撮影されたんですね。そこで素晴らしい演技を見せている大型新人俳優が今ここでお話している私、松尾潔でございます(笑)
シングルファーザーの役柄なんですけどね。映画では主要キャストとしてオダギリジョーさんが出ているので、スピンオフと聞いて、オダギリさんが出るって勘違いした方が、見慣れない黒眼鏡の男の出現に、かなり落胆されるかもしれません(笑)

 

僕がなぜ何の脈絡もなく役者をやったかっていうと、一応理由があります。僕は生前の大瀧詠一さんと親交がありました。個人的にお会いすることも多かったですし、大瀧さんの「恋するカレン」という曲を、僕がプロデュースしたCHEMISTRYでカバーさせてもらったこともあります。

 

そんなやりとりがあったんで、大瀧さんの優しい歌声に本人の人柄とか思い出して、撮影中どうしても胸にこみ上げてきました。これは素人の哀しさっていうんでしょうか、なかなか演技に入り込めなくて、もうNG連発しましたよ。「やっぱり演技って難しいな」と思ったんですが、結局演じることはできなくて「演じているという自意識」を削ぎ落とすことに途中で切り替えました。結果としてミュージックビデオは、演技していないような普段の僕に近い感じが出ています。

 

でも、シングルファーザーの彼が、子供たちのために、台所で料理を作ったりするシーンとかを演じたことで、少しでも好感度が上がればなっていうふうに、そういう心卑しく思っております(笑)

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