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北朝鮮を信じる在日の両親を思想が違う娘が撮影した映画

福岡市で上映が始まったドキュメンタリー映画『スープとイデオロギー』。監督は、在日コリアンのヤンヨンヒさん、取材対象は自分の家族だ。RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した神戸金史(かんべ・かねぶみ)RKB解説委員は「小さな家族を撮影しながら、大河のような東アジアの歴史も描いている」と評価している。  

「日本人の男性と結婚したい」娘たちを歓待する母

福岡市のKBCシネマで先週末から上映が始まった『スープとイデオロギー』。監督はヤンヨンヒさん、女性で在日コリアンです。6月25日(土)にトークショーもあったので見に行ってきました。自分の家族を追うドキュメンタリーを撮っていくという作品が多い方です。今回は、自分のお母さんが主人公となっていて、自分でカメラを回しながら描いていく。大阪の在日コリアンが多い町に生まれ、お母さんは「オモニ」、お父さんは「アボジ」と言いますけど、アボジが2009年に亡くなってからオモニはずっと独り暮らしをしています。

 

映画には冒頭、生前のお父さんが出てきて、ステテコ姿、ほろ酔いでベラベラしゃべる。日本語も朝鮮の言葉も入ってきますが、いかにも大阪にいそうな「面白いおっさん」。娘がかわいくて仕方がないという感じが表れています。お母さんは、高麗人参とたっぷりのニンニクを詰め込んだ鶏1羽丸ごと煮込んだスープを作る。とてもおいしそうなんです、黄金色の鶏スープが。娘のヨンヒ監督が「日本人の男性と結婚したい」と訪ねてくる。歓待する料理なんです。

 

題名『スープとイデオロギー』のスープです。日本人の夫さんが、とてもいい味を出しています。暑いのにスーツを着込んでダラダラ汗を流しながら、丁寧に親御さんに承諾を取ろうとあいさつしている。それを、妻になる人がカメラで撮っている、すごいスタートなんですよ。

 

トークショーには、夫婦2人で出てきたんです。夫とお母さんについて、監督は……。
トークショーでヤン ヨンヒ監督の言葉 ニコニコしながらお互いの話を聞いている2人は、外交官みたい。オモニが「祖国のお金で、孫も息子も元気です」と言うと、「ほんとに元気なんですか?」とは言わずに、「4人目の息子ができたと思って下さい」と。イデオロギーの壁をホイホイと自由に越えながら、微笑みながら関係を築いている。「こうやって、家族になるんだな」と思った。
 

息子3人を北朝鮮に送った両親

実は、お父さんは北朝鮮を支持する朝鮮総連の幹部。勲章をいっぱい胸に下げて、キム・イルソンと写真を撮ったりすることができる。朝鮮総連の活動家だった両親に、娘のヨンヒさんは内心ずっと反発を感じている。ヨンヒさんのお兄さんにあたる3人の息子さんを、北朝鮮に「帰国事業」で送っているんです。韓国・済州(チェジュ)島からお父さんは日本に来て、お母さんは両親が済州島出身で、大阪で生まれた。今の北朝鮮の地域には、縁もゆかりもない。しかし、イデオロギーの問題で北朝鮮を支持するお父さん、お母さんは、息子たちを送ったんですね。3人目の小さい兄は中学生でした。まさにイデオロギーを優先して動いた時代だったのでしょう。

 

「帰国事業」は1959年から20年以上にわたって続いた、北朝鮮への集団移住でした。日本政府も北朝鮮政府も協力し、両国の赤十字によって推進されました。当時の韓国はまだ貧しく、軍事政権下で、今でいうミャンマーみたいな圧政が続いていました。一方、北朝鮮は旧ソ連の支援で経済復興を果たしつつありました。でも送った先の“地上の楽園”は今の北朝鮮…。ずっと、お母さんは借金して仕送りを続けます。北朝鮮に会いに行って、帰ってくるを繰り返してきました。

 

その両親に対し、非常に違和感を抱いていたヨンヒ監督は、韓国籍を取ってしまいます。両親とは全く違う生活を選ぶ。お父さんは「結婚は誰でもいいよ」と酔っ払ってにこやかに言っているんです。でも「アメリカ人と日本人じゃなければね」とも言って。「それ、条件付いてるじゃん!」と娘から突っ込まれるやりとりから始まっていく。

 

「スープ」は日常生活を意味しています。優しいお父さんは娘にデレデレになっていて、お母さんも、子供のため一生懸命考えている。そこに「イデオロギー」が入り込んでくる。北朝鮮を大事にするお父さん、お母さん。一つの自分の家族を撮ることで、大きな歴史のうねり、大河のような流れが描かれているという、すごい映画です。

韓国史最大のタブー「済州四・三事件」

実はヨンヒ監督は2005年、お父さんを主人公にした『ディア・ピョンヤン』という映画を作っています。今回『スープとイデオロギー』ではお母さんを描きました。お母さんは、平凡な主婦でもあるわけですけど…。韓国で「現代史最大のタブー」と言われる「済州四・三(ちぇじゅよんさん)事件」という大変な虐殺事件が、韓国政府・軍によって引き起こされています。お母さんは、その目撃者であることを明らかにしました。それは、ヨンヒさんも知らなかったこと。「え?大阪生まれじゃなかったの?」。実は、大阪が大空襲に遭って非常に危険なので、両親の故郷・済州島に疎開していたんです。
「済州四・三事件」 日本の植民地から解放された半島は、アメリカと旧ソ連が分割統治した。米軍政下の韓国では、南だけでの単独選挙が行われようとしたが、分断を決定づけるとして国民の反発が激しかった。特に済州島では単独選挙反対の声が大きく、これを押さえつけようと韓国軍による島民の大量殺戮が起きた。1948年4月3日から、3万人もの人が殺害されたと言われる。
虐殺された人数は、分かっているだけで1万4,000人。皆殺しになってしまった家もあるので、3万人は超えるだろうと言われています。オモニには当時恋人がいたんですけど、殺害された。その「いいなずけ」だとなると、自分も殺害される。18歳だったオモニは、弟たちを背負って密航船に乗って、日本の大阪に逃げ帰ってくる…。その体験を初めて、娘の前でしゃべり出すんです。

 

事件は、韓国の本当にタブー。共産主義者の暴徒が暴発した事件だと言われていたんですが、そうじゃなくて、民衆が本当に殺されているわけです。

映画を見たあと考えた5つのこと

一つの小さな家族の中に、大きな歴史の背景がある、ということを感じさせられる映画でした。見てすごく思ったのは「朝鮮半島の歴史は、日本人にとってとても大事だ」ということです。

(1)まず、朝鮮半島や台湾は日本の一部で、そこに暮らす人々も「日本人」だったわけです。映画には出てなかったけど、お母さんには日本兵として戦争に行った兄がいたそうです。お兄さんを「天皇陛下万歳」と言って見送った。この方の生死はわからない。こういうことが、背景にある。

 

(2)そして、敗戦後に空白となった朝鮮半島が、国際政治の力学で分断されていった。当然ですが、日本の戦前の統治がなかったら、こんなことになっていないわけです。現在も残る、朝鮮半島の分断に、日本は一定の責任があると私は思います。

 

(3)そして、戦後の日本の経済成長は、朝鮮戦争に伴う特需で呼び起こされた。私たちの経済生活も、朝鮮半島の犠牲の上に成り立っている、という面もある。

 

(4)もう一つ大事なのは、在日の方々を日本が人間らしく扱う社会であったなら、あんなに「帰国事業」で北朝鮮には行かなかったと思います。このあたり、私たちにも大きな関係があるなあ、と。

 

(5)ただ一点。この映画で、日本人の拉致問題には触れてほしかった、と思いました。
 
『ディア・ピョンヤン』という前作もDVDを購入し、昨日の夜見ました。こっちも面白かったですよ。  

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