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国宝・松本城~松本市~

ラジオ

信州・松本のランドマーク、国宝・松本城!外の人にとっても、松本の人にとっても、街のシンボルだと思います。
この松本城、何度行ってもおもしろい。
そして行くたびにおもしろさが深まるんです。
現存する大天守~小天守~渡り櫓は、戦国時代末期に豊臣方の石川和正・康長親子によって築城されました。
そのおもな目的・役割は江戸の徳川家康の監視。
戦える装備で作られたものの、結局、戦場になることなく江戸時代を迎え、徳川家ゆかりの大名が移封されてきて、幕末までに6つの家が城主となっています。
今回は、改めて「基本のき」を押さえていきましょう。先生は、松本城管理事務所・専門研究員の南山孝さんです。

特徴①=見た目と中身が違うんです。
外から見ると屋根が5つ=5階建てなのに、中は6階建て!五重六階とか五層六階とか言われますが、その造りの天守としては日本最古です。
当時の建築技術では、1階と2階を貫く「通し柱」と各階を支える「管柱(くだばしら)」を使って2階建てを作り、その上に同様の造りの2階建てを重ねて高層建築にしていったのだそう。
その結果、3階部分が下から二つ目の屋根部分と重なり、見えない階として存在してしまう事になるとのこと。
「もう少し時代が進むと屋根の数と各階の階数が同じになってきます」と、南山さん。
おおお。意図して隠した3階部分だと信じてきてましたが、工法的にそうなってたのですねえ。
「でも、見えない階ではありますので、『あそこに兵が隠れてるんだ』とか、そういう風に言ったりする方もいます」と、南山さん。
ううむ。図らずもできてしまった隠し階を上手く戦略に生かしたのかもしれませんねえ。

特徴②=黒い色
松本城といえばかっこいい黒!壁の上半分が漆喰の白壁で、下半分が黒い漆塗りの板になっています。
「漆喰の上に張られた板壁によって、壁はより丈夫になります。
風雨にさらされても大丈夫。さらに漆を塗ることによって雨風をより防ぐことができます。」と、南山さん。
「築城当時からこうなのかは不明ですが、昭和25~30年(1950~1955)の昭和の解体修理の時に、この壁を調べたら、漆が塗ってあることがわかったんです。
それから後、毎年漆を塗るようになりました」とも。
この昭和の大修理でわかったことが結構あるそうで、今、私たちが知ることができる松本城の情報は、この時にもたらされているようです。
ちなみに今、天守1階の床板を外して調査が行われています。また、お堀の浚渫工事も。
またまた何か新情報が出てくるんじゃないでしょうかねえ。

特徴③=二つの顔を持つお城
戦いのために造られた部分=大天守~乾小天守+渡り櫓部分=と、平和な時代の優雅な部分=月見櫓+辰巳附櫓=が組み合わさってるお城なんです。
月見櫓には朱塗りの手すり(?)飾りが回されたバルコニーみたいな回廊が付いてます。
この部分は、「当時の城主が、家康の孫にあたる松平直政という殿様で、いとこにあたる徳川家光がここへ来るってことで急遽造ったって言われてます。
当時は、お城を直しても藩がお取りつぶしになるような時代だから、新たにお城を造ったとなるとたいへんな問題になります。
そうならずにこういうものを造れたっていうのは、やはり徳川家との関係があるということだろうと」と、南山さんが教えてくれました。

しかし、大天守と月見櫓をつなぐ辰巳附櫓(=江戸時代建築)で、「時代が違うと言っても、あそこに鉄砲を撃つ窓があるんですよ」と、衝撃の発言。
あああ。ほんとだ。花頭窓の両側に…。まだ用心してたってことでしょうか?「いや…かっこつけたのかも、ですね。
お城も『見てくれ』がね。見た時かっこよくということで。」と、南山さん。うむ。そうかも。

 

まだまだ興味の尽きない松本城。夜のライトアップもいいですよ~。

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□ 国宝・松本城 →
https://www.matsumoto-castle.jp/
□ 新まつもと物語 →
https://visitmatsumoto.com/
□ 長野県公式観光サイト →
https://www.go-nagano.net/
□ FDA フジドリームエアラインズ →
http://www.fujidream.co.jp/

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