PageTopButton

異見 ~米国から見た富山大空襲~

2016年第29回
制作:TUTチューリップテレビ
ディレクター:五百旗頭幸男

米国・ニューオリンズに、第二次世界大戦に勝利した米国の戦果を伝える博物館がある。 「太平洋戦争」のギャラリーには、400点を超える資料が展示されている。
そのなかで、原子爆弾を投下した広島と長崎の写真とともに、 ギャラリーの最後を締めくくるのは、燃え上がる富山の街を映した1枚の航空写真だ。 ところが、訪れる米国人のほとんどが、富山の写真がそこにある意味を理解していない。 返ってくる答えは、得てしてこうだ。
「広島や長崎のことは学校で学んだが、富山のことは教えられていない」戦後、 米国内で積極的には伝えられてこなかった富山大空襲だが、太平洋戦争の終盤、 その空襲は米軍にとって特別な意味を持っていた。
陸軍航空軍創設38周年の記念日だった、1945年8月1日。この日の富山を含む4都市への爆撃には 祝賀爆撃として「最大兵力の投入」が決められていた。
そこには「この日を皮切りに爆撃を2倍にして戦争を早く終わらせる」という大義名分があった。 約3000人が犠牲となった富山の街は、B-29の大群が投下した約52万発の焼夷弾によって火の海と化した。 111分間の爆撃による市街地の破壊率は99,5パーセント。これは空襲を受けた都市の中で最悪の被害だった。 終戦70年に制作した番組で、米国にとってとりわけ重要とはされていなかった地方都市・富山が、 なぜ、これほどまでに激しい空爆を受けたのか、当時、富山の街では何が起きていたのかについて、 国内各地やアメリカでの取材をもとに検証した。その番組が、 先月、ニューオリンズで開かれたB-29乗組員らの同窓会で上映された。
上映会を提案したのは、番組で取材した乗組員だった。富山を爆撃している彼は、私たちにこう言った。 「日本で起きたことの背景を、米国人はどれだけ知らなかったことか。
異なった見解があることを理解するのがとても大切なんだ」 終戦から71年。オバマ大統領が訪れた被爆地・広島には、世界中の目が注がれた。 しかし、原爆投下の4日前の富山大空襲が、 原爆と同じ大義名分のもとに実行されたことは、あまり知られていない。
戦争を終わらせるために正当化された過激な空襲と、 それを後世に伝える番組を戦勝国の当事者らはどのように受け止めたのか。

各局の放送予定

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう