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福岡の最大繁華街「天神」 渡辺通りの由来が人の名前ってホント!? 天神発展に貢献した男の物語

今回、福岡で活動中のタレント・ジョナサンが気になったのが、天神のメインストリートも言える「渡辺通り」。実は、ある人物が名前の由来なんだそう。このことを福岡県民は知っているのか?ジョナサンが調べてきました。

ジョナサン・シガー
RKB毎日放送「タダイマ!」では「ジョナサン・シガーのWhy Fukuoka people!?」のレギュラーリポーターとして、県外の人が福岡に来た時、不思議に感じる“福岡あるある”について調査する特集を担当。「ジョナサン・シガーのWhy Fukuoka people!?」は、情報ニュースバラエティ「タダイマ!」の人気特集である。

渡辺通りとは、渡辺一丁目交差点から、天神橋口交差点まで伸びる約1.3キロの大通り。なぜ、人の名前がついたのか、まずは街の人に聞き込み開始。

「渡辺さんが地主だったから」

「渡辺さんが発明した道路」

「何かを治めていた渡辺さん」

「渡辺さんがたくさん通る?」など…

名前ではないか?という意見は多いものの、皆さん詳細は知らず…。


そんな中こんな意見の女性も。小さいころ住んでいた近くに「渡辺さん」という大きな家があり、「渡辺通りの由来になった人だよ」と聞いたことがある、と。

女性が言うその場所は、福岡市南区平和にありました。現在は「わたなべ平和の森」と呼ばれ、およそ2万平方メートルの跡地は、市の「特別緑地保全地区」として守られています。

インタビューの結果、ほとんどの人が「渡辺さんがつくった道路」だと思っている、という結果でした。そして「渡辺さんのフルネームは?」と聞いたところ、ほとんどの方が分からない(覚えていない)という結果でした。

渡辺さんがどんな人物なのかを知りたい!ということで、福岡をはじめ、九州各地の「街」に関する膨大な資料を収集・その歴史を研究し続けている益田啓一郎さんにいろいろと聞いてみました~。

 

渡辺通りの名前の由来である人物は、九州一と言われた、紙与呉服店(かみよごふくてん)の三代目として生まれた渡辺與八郎(わたなべよはちろう)。天神はもちろん、博多や福岡の発展に多大に貢献した人物なのだそう。1800年代半ば、当時の福岡という町はとても小さな町で、発展のためには、周りの村や町を合併させないと大きくならないと言われていました。しかし、周りの村や町もそう簡単に合併にOKはしません。そこで與八郎(よはちろう)が計画したのが、都市の生命線である交通インフラの整備、路面電車の創設でした。村と町をつなぐため路面電車を作り、大きな道路を建設することで発展すると考えたのです。

 

1910年、博多の中心部を東西に横断する路面電車が開業。そんな中、與八郎(よはちろう)は、博多周辺の循環道路に路面電車を通す計画を行っていました。そして1911年、天神から、渡辺通り、住吉を通って博多駅。さらに、築港から天神へという、循環路面電車を実現させたのです。その時にできたのが、「天神交差点」と「天神町停留所」。

福岡市が計画した路面電車には、「天神町(てんじんのちょう)」という停留所はなかったのです。交差点が誕生し、2つの電車の乗り換え地点となった事により天神が繁華街への第一歩を踏み出したと言われています。

さらに、九州沖縄八県連合共進会(博覧会)のため、当時お堀だった渡辺通りを整地したのも渡辺與八郎(よはちろう)でした。道路整備のために渡辺通りの周辺の土地も同時に購入になければならなかったため、その後「紙与呉服店」は子孫が「紙与産業」という不動産会社に業態を変えて経営されています。

「道を造ることが町の発展につながる」。自動車も走っていない明治初期の3mの道を15mにまで拡大した渡辺與八郎(わたなべよはちろう)の想いは証明されました。

さらに明治36年に九州大学が誘致される際には、優位に立っていた熊本や長崎に対抗するために私財を寄付して、福岡への誘致運動を支援したそうです。

 

街の繁栄と発展のために、道路と橋を作ることは自分の使命と感じ、私財を投じ、銀行からお金を借りてまで事業に尽くした渡辺與八郎(よはちろう)。しかし本人は表に出ることはなく裏方に徹していたといいます。しかし、1911年路面電車開通の直後に渡辺與八郎(わたなべよはちろう)はウイルス性の流行病にかかり、発病後11日で亡くなりました。享年46歳でした。

表に出ることがすきではなかった人でしたが、亡くなった後、周りの方々からその功績が讃えられ「渡辺通り」とその名を残すこととなりました。渡辺與八郎(わたなべよはちろう)がいなければ今の福岡市の発展はなかったと言っても過言ではありません。

およそ110年前、「渡辺通り」に名を遺す博多の呉服商渡邉與八郎(わたなべよはちろう)は、私財を投げ打ち、道路や橋をつくり、電車を走らせ大学誘致に尽力。彼が構想した道路網や鉄道敷設計画(てつどうふせつけいかく)は、その後の天神および福岡市の発展の基礎となったのでした!

ジョナサン・シガー

台湾生まれ、群馬県出身のモデル、司会者、タレント。RKB毎日放送「タダイマ!」では「ジョナサン・シガーのWhy Fukuoka people!?」のレギュラーリポーターとして、県外の人が福岡に来た時、不思議に感じる“福岡あるある”について調査する特集を担当。「ジョナサン・シガーのWhy Fukuoka people!?」は、情報ニュースバラエティ「タダイマ!」の人気特集である。

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