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なぜ福岡駅ではなく、博多駅なのか⁉博多駅の歴史は福岡発展の礎!WHY?Fukuoka People

どっちが先?福岡・博多誕生物語


なぜ、福岡駅ではなく博多駅なのか?街の声を聞いてみると、「福岡より博多がかっこいいから」や「響きがいい!」「博多エリアにあるから」などさまざまな意見が。しかし、なぜ『博多駅』になったのか?という理由を知っているひとは57人中19人で、若い世代では知らないという人が多い結果となりました。
 

そこで博多の歴史に詳しい「博多ガイドの会」の木原さんと一緒に博多駅付近を散策しました。まず、ジョナサンに質問されたのは「福岡と博多どっちが古いのか?」
 

『日本書紀』に続く歴史書『続日本記』には759年に大宰府の外港の役割を果した港として「博多大津」という文字が記されています。遣唐使など、中国との貿易の拠点となり、博多湾沿いには、日本最古の外交施設も存在していたそうです。

一方「福岡」が使われだしたのは、初代福岡藩主である黒田長政が1601年「福岡」という名前を付けてからと言われています。これを踏まえるとおよそ1260年前から「博多」という地名は存在していたことになります。

博多駅の歴史をひもとく


実は現在の博多駅の位置ではなく、博多エリアに最初の博多駅は存在していました。

明治21年4月、政府から市制の公布が行われ、翌明治22年4月に福岡市が誕生するのですが、この頃から「福岡市」「博多市」の大論争が巻き起こります。

なぜ、歴史は博多のほうが古いのに福岡市になったのか?と、異議を唱えたのが博多に住む人々でした。そこで、博多の人々をなだめるために、鉄道の駅は「博多駅」という名前にし、お互い痛み分けという形になったらしいのです。
 

しかし、納得がいかなかった一人の議員が、「市名変更の議」なるものを出し、再び議論へ。当時の福岡の議員の数は博多が17人、福岡が13人という内訳でした。そこで多数決で決めようということになったそうですが…結果はなぜか13対13。最後は議長がもつ1票にかかりました。しかし、議長は福岡側の人だったため、「福岡市」という名前が変わることはなかったそうです。

明治から昭和 にぎわった旧博多駅

続いてやってきたのは、博多千年門からすぐの出来町公園。ここに「九州鉄道発祥の地」の記念碑があります。一代目博多駅は大博通りのど真ん中にありました。ドイツ人技師の指導のもと建設されたそうです。

そして、明治42年に建てられた 二代目博多駅は、ルネッサンス様式のデザインで、「西国一の駅舎」と言われたほど豪華だったとか!昭和になり福岡市が急速に発展する中、駅前には旅館や映画館、土産物屋が次々と並んだそうです。

当時から上呉服町にある西門蒲鉾本店のご主人は、「当時は発展することがよかった時代。新しいものが博多の人は好きだった」と語りました。

初代駅舎ができた明治22年は、福岡市の人口も約5万人でしたが、昭和30年には、50万人を超えました。戦後は輸送量の増大などにより、ホームの不足や駅前広場の混雑、踏切による交通障害などが問題となり、1963年12月三代目となる博多駅が現在の場所に開業したのです。

現在の四代目駅舎の屋上にある鉄道神社の脇は二代目博多駅のわずかな面影の1つが残っています。残されているのは、二代目博多駅の一番ホームの支柱。解体された際、住吉神社で保管していたそうです。130年以上前の博多駅の歴史を伝える大切なものとなっています。
 

歴史や背景を知ると、四代目の博多駅にもさらに愛着がわいてきますね。博多駅の駅舎が変わっても、その「博多魂」は引き継がれていくのでした!

◎ジョナサン・シガー
RKB毎日放送「タダイマ!」では「ジョナサン・シガーのWhy Fukuoka people!?」のレギュラーリポーターとして、県外の人が福岡に来た時、不思議に感じる“福岡あるある”について調査する特集を担当。「ジョナサン・シガーのWhy Fukuoka people!?」は、情報ニュースバラエティ「タダイマ!」の人気特集である。

放送:2024年2月20日(RKB毎日放送 ごご3時40分 タダイマ!内)
おことわり:掲載内容は放送当時のものです

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