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「刑務所は楽しかった!」えん罪獄中29年でも前向きに生きる映画

ラジオ
あまりに明るい。20歳から29年間も獄中に暮らした、元無期懲役囚の桜井昌司さん(75歳)は無実だった―。桜井さんを追ったドキュメンタリー映画『オレの記念日』が公開された。「刑務所は楽しかった」と言い切る桜井さん。無罪判決を勝ち取り、国家賠償請求訴訟でも、国と県に完勝した。今は「えん罪」が疑われるほかの事件の支援に駆け回っている。RKB報道局の神戸金史解説委員が桜井さんに話を聞き、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で紹介した。    

1967年に起きた強盗殺人事件「布川事件」

おすすめの映画を紹介します。1月6日から福岡市のKBCシネマで始まったドキュメンタリー映画『オレの記念日』です。描かれているテーマは「えん罪」、そう聞くとドヨーンとする話を想像するでしょうけど、主人公の桜井昌司(しょうじ)さんがとても魅力的で、見ていたら本当に楽しくなってきちゃうんです。

 

桜井さんは、1967年に茨城県利根町で起きた強盗殺人事件「布川事件」の犯人とされてほかの男性1人とともに逮捕され、無期懲役判決を受けました。当時20歳、29年間を獄中で暮らしました。仮釈放されたのは49歳のとき。大変な人生を歩んだ人です。なのに、非常に明るい、前向きな方でした。1月8日に監督の金聖雄(キム・ソンウン)さんと対談をする機会があり、聞きに行きました。
出所後、桜井さんは52歳で結婚。再審請求が認められ、58歳で再審が始まって、2011年、64歳のときに無罪判決がました。その後に国家賠償訴訟を起こして、2021年に国が完敗しました。桜井さんは74歳になっていました。日本国民救援会や弁護士さん、いろいろな方々の支援を受けながら再審を求めてきたんです。ここまで完勝したえん罪事件は滅多にありません。桜井さんは、金監督とこんな話をしていました。

明るさの裏に隠しているもの


金聖雄監督:千葉刑務所の話をする時は、どういう気分なんですか?

 

桜井昌司さん:いや、故郷を語るよう(笑) 十何年も過ごしたら、故郷じゃないですか。皆さんはご存知ないでしょうけど、職員がいて受刑者がいて、本当に一つの社会なんですよ。要領の良い奴もいれば、悪い奴もいるし、根性の悪い職員もいればいい職員もいる。刑務所に入ったことによって、救援会の人に出会った。正義や真実を守っている人と出会って、「こんな生き方があるんだ」と教えてもらった。あの刑務所生活が自分にとっては人間として蘇る力になった。音楽クラブで歌ったりとか、楽しかったなあ。

 

桜井昌司さん:31歳で千葉刑務所行きが決まって。人生は一度限り、今日は一日限りと分かって「だったら今日から毎日、千葉県刑務所で自分がなしうることを一生懸命やって、自分が満足する生き方を貫こう」と思って、それから貫いてきた自信がありましたね。だから、自分にとって刑務所の中の18年間が青春だった。
発言を聞いて、びっくりしました。最高裁まで争って、31歳の時に無期懲役が確定。拘置所から千葉刑務所に入りました。そこからの18年間が「自分の青春だった」と言っています。

 

逆に言うと、そう言わざるを得ない状況ではあったのでしょう。明るく話していますが、例えば金属製の腕時計が今でも着けられないそうです。手錠を思い出すんでしょうね。長い間、ずっと耐えてきたことによる心の傷は、実は癒えていません。しかし、桜井さんは本当に前向きに生きようと考えてきたようです。歌はとても上手で、音楽クラブに参加して歌ったり、自分で詩を書くようにもなったりして、作詞・作曲もしています。その一つの詩を紹介します。
1967年10月10日 夜風に金木犀は香って 初めての手錠は冷たかった
 
1967年10月15日 人をだました心が 自分自身をも裏切って 嘘の自白をした
 
1970年10月6日 嘘が真実に変わった 人殺しの犯人だと裁判官が言った
 

(桜井昌司 獄中詩集より「記念日」)
 

なぜ“自白”してしまったのか


金聖雄監督:「殺人事件の自白なんか、絶対するはずないだろう」と思っていたんです。

 

桜井昌司さん:あれは、意外と簡単なんですよね。「調べられる」ということは、「疑われる」。疑われるつらい経験をされたことはありません? あるいは夫婦げんかをして、一方的に責められるとか、職場でパワハラを受けるとか。それを、狭い三畳くらいの部屋で、一日やられる。夫婦げんかなら逃げればいいです。パワハラだって3時間も4時間も続かないじゃないですか。それが違う。警察官が「お前が犯人だよ」と疑われることがズーッと続くんです。

 

桜井昌司さん:「死刑もある。桜井、いい加減に自白したらどうなんだ? まだ20歳なんだからな、いくらでもやり直せるんだ。(判決が)死刑となってから、助けてくれと言っても遅いんだぞ」と言われると、響くんですよ。本当つらくて。ウソ発見器で「お前が犯人だと出たよ」と言われ、心がボキッと折れて「ならいいよ、やったって認めちゃおう、こんなに苦しいなら」と。

 

金監督:とにかくその場から逃れよう、と……
警察官の取り調べの内容なども、再審請求の中で明らかになっています。警察がいっぱい嘘をついているんです。例えば「現場でお前たちを見たっていう人もいるんだぞ」。いないんです。「お前の母ちゃんも『やってしまったことは仕方がない、早く本当のことを言え』と言っている」。嘘なんです。心がだんだん傷んでくる。ウソ発見器に当時かけられて「残念だったな桜井。検査の結果、お前の言うことはみんな嘘と出た。もうだめだから本当のことを話せ」。これも嘘でした。

 

こういったことが事後に明らかになって、主任弁護士の山本裕夫さんは「検事は、自白や目撃証言の矛盾点をごまかすように、それらの供述を変更させ、作り上げ繰ることで犯行を捏造していった。都合のよい供述証拠だけを公判に提出し、悪い証拠は徹底して隠匿した」と批判しています。国家賠償請求の判決では、警察と検察の取り調べの違法性、公判での警察官の偽証、警察官の証拠隠しを厳しく断罪しています。こういったことが起きている中で、えん罪が生まれてくるということがはっきりしていますね。

がんになっても前向きに

桜井さんは結婚もして新しい人生が来たのですが、がんにかかってしまいました。

桜井さん:がんと知ったときには、せっかく人間として生まれたんだから「全身麻酔がどんななのか、体験できらうれしいな」「大手術ってどんななのか、体験できてうれしいな」と思ったんです。そうしたら「何もできません」と医者が言うんです。ちょっとがっかりしちゃって。

 

金監督:すごく落ち込むと思うんですけど。

 

桜井さん:全然、本当に。20歳の時に「お前死刑だよ」って言われて自分が死ぬのがすごく怖かったんです。自分がこの世からいなくなる、消えてしまうんだ、と思ったときに、ちょっと考えて気がついたこと。それは、

・社会があって自分がいるんじゃない。

・自分という人間があって、この世界があって社会があるんだ。

・1人1人の命があってこそ、この社会があるんだ。

・1人の命こそ一番大事なんじゃないか。

と、気がつかされたんです。がんと宣告されてみると、自分自身が闘う時間が限られていて、その時間の中でできる限りしろよと言われたと思った。死ぬまで、生きている限り自分はやり続けられることをやろう、と。
余命数か月と言われたのに、もう3年。この前向きさ、本当にすごい。桜井さんの魅力にどんどん引き込まれていく映画です。堅苦しいドキュメンタリーではないので、楽しく見ていただけたらと思っています。

映画『オレの記念日』公式ホームページ
https://oreno-kinenbi.com/
 

◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)

1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。

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