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信州・松代

長野市松代町は、1622年、真田信之(幸村の兄)から10代250年、松代藩真田氏の城下町だったところです。中心となる松代城は(現在は城門や石垣が復元)、武田信玄が川中島合戦の前線基地として作らせた築城からは、今年450年になるのだそう。街なかは、古い門構えや城下町らしい鍵型に折れた道、真田家の「六文銭」があちこちで見られます。この町を「松代文化財ボランティアの会」会長の荻原幸子さんの案内で歩きました。

真田家から寄贈された伝来の大名道具や武具、調度品、古文書などが展示される「真田宝物館」、9代藩主のお母さんのために作られた座観式庭園が見事な「真田邸」、藩校だった「文武学校」など往時をしのばせる建物が並んでいてわくわくします。中でも「文武学校」は、日本ではここだけという、藩校の遺構が残っているところなんだそう。学問をした大きな広間もすごいんですが、剣術所がいいんですよっ!映画やドラマでみるような雰囲気そのままです。実際、撮影も行われたそう。

そしてこの町で必見なのが「松代象山地下壕」!太平洋戦争末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、大本営と政府機関などを移す計画のため、松代の3つの山に掘った地下壕のひとつです。碁盤の目のように掘られた全長5853mのうち500mほどを見学することができます。通路沿いに部屋のようにくり抜かれた部分があり、「この部屋ごとに新聞社などマスコミを入れる予定だったそうですよ」と荻原さんが教えてくれました。着工が昭和19年11月11日。終戦の昭和20年8月15日までの約9ケ月で、多くの犠牲者をだしながらこれほどのものを作った事実を確かめてください。ちなみに最も工事が進んでいた(90%以上)舞鶴山地下壕は、現在気象庁精密地震観測室として使われています。ここが移転先候補になったのは、上空の飛行機から見てわかりにくい、地盤が強い、私鉄が通ってて掘り出した“ずり(石など)”を運びやすかったからだそう。

□ 松代 → http://www.matsushiro-year.jp/
松代まで来ると、かなりディープに信州を楽しんでる感じになりますが、ディープな新しい信州メニューを紹介しましょう。それが「まぁーず料理」。“まぁーず”とは信州の方言で、“すごく・とても・たいへん”といったニュアンスを表します。「いやあ、まぁーずたいへんだった ̄」とか「いやいや、まぁーずよかった」というような使い方。で、料理のポイントは、酒粕と信州味噌、さらに土地の漬物を使ってソースにしたものを使うことだそう。長野県の旅館ホテル組合の青年部で開発しました。松代よりさらに北東にある温泉・渋温泉の「さかえ屋」のまぁーず料理は、鹿肉の上にまぁーずソースを載せたもので、食べ応えのあるしっかりした味です。ジビエ料理で気になりがちな臭みなどが全く気になりません。調理長の大月茂さんは「酒の香りとあとくちに広がる信州味噌の風味が広がって、アクセントに野沢菜の漬物が効いているのが特徴です。うちでは大根スライスも入れてます。肉や魚の臭みと調和して、いいトコだけ出して他は消してくれるソースです。」と、おっしゃってました。

□ さかえ屋 → http://www.e-sakaeya.jp/
この渋温泉、宿泊すると温泉街の中にある9つの共同浴場の湯めぐりができる「外湯めぐり」がおすすめです。下駄をカラコロ鳴らしながら、風情ある時間を楽しんでください。
□渋温泉 → http://www.shibuonsen.net/index.html

ディープに信州を楽しむなら、「信州デスティネーションキャンペーン」が行われる今年の秋冬がビッグチャンスです!「未知を歩こう」をテーマに、長野県じゅうが、スペシャルなおもてなし計画を繰り広げます。イメージとしては長崎の「さるく博」とか別府の「オンパク」みたいな感じでしょうか。なお、今回紹介した松代や善光寺あたりに行くには、信州まつもと空港から長野市内までの直行バスが便利ですよ。飛行機が着いた10分後の午前9時15分発で、戻りは、福岡便の出発55分前の12時30分にまつもと空港に到着します。所要時間は1時間半、大人1500円です。JR長野駅やバスセンター、長野県庁や川中島古戦場が乗降バス停になってます。高速道路移動中に見られる北アルプスや、姨捨SA付近からの善光寺平の風景や棚田が見どころでもあります。
□ 信州デスティネーションキャンペーン → http://www.shinshu-dc.net/

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