PageTopButton

「歴史語り継ぐ難しさ」に挑戦~琉球新報の「復帰50年特別号」

歴史を語り継ぐのは、難しい。一方で、語り継ぐ役割をしっかり果たした報道もある。「沖縄の本土復帰50年」を伝える、琉球新報の特別号だ。RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した神戸金史・RKB解説委員が、ある大学のジャーナリズム講座で講師を務めたときの体験談も交え解説した。  

学生の想像を超える「報道の自由」がない戦前の日本

これまで何度も話しているように、私は日本の歴史が大好きで、古代から近現代までいろいろなものを読んできました。普通に歴史の話をしているつもりなんだけど、「知らなかった」と驚かれることが結構あるんです。この前は、ある大学で「戦前の日本に報道の自由がなかった」って言ったら、学生たちに驚かれました。

 

戦前の大日本帝国では、報道の自由は当然なかったし、密告が奨励されていたり、「非国民」という言葉が横行していたり、政党政治がなくて軍が総理大臣を出していたりということは、今の学生たちの想像を超えているようです。知識として知っている人はいても、自分がそこに暮らしていたらどうだったか?とあまり考えることが今までなかったのでしょう。今、「平和は大事だ」と誰でも言いますよね。でも、そう言うこと自体が非国民となった時代があったことに、驚かれました。学生が書いてくれたリポート、一部抜粋してきました。

「戦時中の日本の記者の話があったが、平和を求めるような行動をした時に、前線に駆り出されるということを聞いて、心が痛くなった」
 

「戦争時代の記者の話は、衝撃的でした。今ロシアとウクライナの問題をどこか他人事と見ていましたが、日本でも情報統制などがあり、記者が苦労していたと知り、ニュースの見方が変わりました」
平和を語ろうとした記者たちには、社を追われる方もいましたし、中国大陸や南方戦線に送られた人もいました。多くの記者は、自分の生活や家族を守るために、大勢に従って戦争遂行の方向で筆を執った。そして、反論・異論がない社会だった大日本帝国は、敗戦で滅びた。これも、私が大好きな日本史の中の、非常に残念なひとコマなんです。

専制国家=報道の自由がない国は判断基準が偏る

報道の自由がかなり規制されている、専制国家と言っていいロシアの人たちはどう思っているか。この前Twitterで見つけた、世界3大通信社の「AFP通信」日本語ニュースサービスに、「ウクライナで再び『ナチズム』との戦い ロシア戦勝記念日」という見出しのニュースが出ていました。

 

「ロシアで5月9日、第2次世界大戦中のナチスドイツとの戦いの犠牲者を悼む『不滅の連隊』が開催された」。遺影を持ってみんなで歩いたんですが「参加者の多くは、ロシアがウクライナで再びナチズムと戦っていると信じている」と報じていました。

 

確かに、ナチズムと戦ったのはそうでしょう。ファシズムと民主主義が戦った戦争だと西欧諸国は思っているかもしれませんが、ロシア、その前身であるソ連が専制国家であったのは間違いない。今のロシアが、ナチズムと戦っていると「信じている」と言われると、「うーん、かわいそうだな」と。報道の自由がない国は、本当に判断基準が偏ってしまいますね。

歴史から見えるのは「統制の維持はできない」ということ

戦前のナチスドイツ。ファシストが支配したイタリア、それから大日本帝国。みんな専制国家で、みんな滅びたわけです。現在のロシア、中国、北朝鮮、ミャンマー、みんな軍事国家です。維持するには、統制をずっと続けていかなきゃいけない。歴史を見ていると、思うんですよ。「やはり維持はできないんじゃないかな、いずれは…」と。

 

例えば戦前の日本だったら、熱狂の中で、広がっていく戦争の勝利にバンザイしていた。戦争に家族が行く時に、バンザイしてしまう。涙はこらえるのが当たり前、泣いてはいけないんだ、と強要されていった。時代の空気、ですね。やはり戦前の日本社会は、本当に厳しい国だったんだな、と考えるんです。それが、今の学生さんたちにはきちんと伝わってないんだろうと思うんです。

「時代の空気」伝えた琉球新報の特別号

今日お手元に持ってきたのが、琉球新報の5月15日の紙面、「復帰50年特別号」。普通の新聞を、1枚余分にくるんでしまう「ラッピング紙面」は、朝刊の外側に、もう1枚つけます。これは、5月15日のラッピング特別紙面です。「変わらぬ基地 続く苦悩」「今日本に問う」と琉球新報は書いているんですが、実は50年前のこの日、本土に復帰した当日の紙面をそのまま使っていて、開くと2ページが並ぶという紙面になっている。

 

50年前の見出しは、「変わらぬ基地 続く苦悩」。50年後も、「変わらぬ基地 続く苦悩」。そして真ん中に、50年前は「いま祖国に帰る」と大きく書いてありました。50年後の今回は「いま、日本に問う」と書いてあります。

 

50年後も同じ見出しの新聞を作らざるを得ない沖縄の現状を、本当にわかりやすく1枚のページにした。裏は、沖縄の今の人たちが書いている、こんな沖縄であってほしいという思いです。「沖縄は親切で温かい。このちむちゅらさを残したい」とか、「子どもたちがやりたいことを自分で選べる沖縄を」など。いろいろな方々の言葉が並んでいます。すごいなと思いました。見たら、いろいろなことを考える紙面になっている。そして、50年前のトップ記事は、こう書いています。

「沖縄の復帰を告げるサイレンと汽笛が十五日午前零時を期して、いっせいに鳴り響いた。四十七番目の『沖縄県』発足の一瞬である。沖縄統治最後の最高責任者として君臨してきた高等弁務官・ランバート中将は午前零時十分嘉手納基地から東京経由で帰国した」
「時代の空気」というものは、実感することが難しくて、語り継ぐことが難しい。こういった紙面で伝えていくのは、すごい。しっかりした報道をしているなと僕は思いました。こういったことが、僕らにも求められているんじゃないかな。同じ記者が作った記事を見て、強く思いました。

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう