PageTopButton

日本・モンゴル国交締結50周年“したたかな親日国家”との関係強化を

2022年は、日本とモンゴルの国交樹立50周年という節目の年。9月1日のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』では、東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長が、自身の取材経験なども交えながら、モンゴルと周辺国との関りについて解説した。  

モンゴルといえば…相撲・遊牧民・元寇そして蒙古斑

9月11日に開幕する大相撲秋場所の番付が、8月29日に発表された。東の横綱・照ノ富士、新関脇・豊昇龍、小結・逸ノ城、同じく小結・霧馬山…。モンゴル出身力士が幕内に7人いる。また、モンゴル出身の元横綱・白鵬が年寄「宮城野」を襲名し、宮城野部屋を継承したことも最近、ニュースになった。

 

モンゴルの面積は日本の約4倍なのに対し、全人口はわずか340万人あまり。首都ウランバートルの人口は164万人で、福岡市とほぼ同じ規模だ。モンゴルといえば、草原の国、遊牧民、「ゲル」と呼ばれる移動用テント…と、のどかなイメージがあるだろう。あるいは、室町時代の元寇を思い出す人もいるかもしれない。

 

日本人との共通点といえば蒙古斑が挙げられる。生まれてから幼年時までお尻や背中にできる青いアザのことで、日本人やモンゴル人に多く出る。だからモンゴルの人たちは、日本人に対して「俺たちは兄弟じゃないか」「まあ、一杯いこう」と言っては、アルヒと呼ばれる、アルコール度数の高いモンゴル製のウオツカを勧める。私自身も、ウランバートルで何度かそんな体験をした。

 

2022年は、日本とモンゴルの国交樹立50周年という節目の年。ウランバートルの短い夏の8月、国交樹立50周年を記念する、いくつかのイベントが開かれた。

 

ウランバートルに住む友人に連絡して「もっとも賑わったのはどのイベントか?」と聞くと、返ってきた答えはマンガやアニメキャラクターのコスプレ・コンテストだった。モンゴルの若者が、「鬼滅の刃」「僕のヒーローアカデミア」といった、日本発のアニメキャラクターに扮して市の中心部に集まったそうだ。日本のソフトパワーが海外進出、日本への好感度を高めるよい事例と言えるだろう。

東西冷戦下での国交締結

国交締結の署名は1972年2月24日、モスクワで行われた。当時モンゴルは、ソ連を中心とした共産圏の一員で「ソ連の衛星国」と言われていた。すべてソ連の判断に基づいてモンゴルの国政も動いていた。

 

実はこの署名が行われていた2月24日前後、世界の視線は中国に集まっていた。アメリカのニクソン大統領が同月21日から27日まで中国を訪問。激しく対立してきたアメリカと中国がのちの国交正常化につながった。世界の秩序がめまぐるしく動くなか、日本とモンゴルも手を結んだわけだ。

 

とはいえ、時はまさに米ソ対立、中ソ対立の時代。日本大使館の置かれたウランバートルは、ソ連の影響下にあった。大使館では重要な話をする時、部屋の中では、レコ―ドで日本の演歌を大音量で流し、盗聴されないようにしていたという苦労話を聞いたこともある。

モンゴルに抑留された日本人たち

一方、モンゴルの礎となった日本人のことも忘れてはならない。第2次大戦後、ソ連が満州(現中国東北部)などから、日本兵ら約57万人を連行し、鉄道建設などの重労働を強いた。よく知られる「シベリア抑留」だ。

 

厚生労働省に確認すると、このうちモンゴルには推計で1万4000人が抑留された。厳しい寒さと過酷な労働に従事したことで、推計2000人が命を落としたという。7人に1人の割合で、祖国へ帰ることを望みながら、亡くなったわけだ。犠牲者の集団墓地は、モンゴル各地に残っている。

 

モンゴルに抑留された人々は、政府庁舎、劇場、図書館、大学の校舎など都市建設に関わった。その建造物の多くは現在も使われている。

ロシアと中国にはさまれたモンゴルの外交戦略

国交樹立50周年の節目に、日本から見たモンゴルの持つ戦略性を改めて考えたい。地政学的に中国とロシアにはさまれ、そして、その2つの国との複雑な歴史から、したたかな外交を展開してきた。ロシアによるウクライナ侵攻、米中関係が緊張するなか、逆にそんな環境を活かそうとさえしていると、見える。いわば、大国相手の「弱者の外交」だ。

 

たとえば、鉄道。中国からロシアを通って、ヨーロッパへ通じる鉄路は、モンゴルを経由する。ユーラシア大陸の物流は、モンゴルが大きな役割を担っている。2年後には、ロシアで採掘した天然ガスをモンゴル経由で中国へ運ぶパイプラインがモンゴル国内で着工される。

 

ウクライナ侵攻によりヨーロッパのガス市場を失う可能性に直面したロシアが、初めてアジアとパイプラインで直結させようとしている。パイプラインの通行料収入は、新型コロナウイルス禍で打撃を受けたモンゴル経済の回復にも寄与する。

 

一方、アメリカは中国、ロシアと隣接するモンゴルに楔(くさび)を打ちたいだろう。地政学上、極めて重要なモンゴルで、合同軍事演習を定期的に実施している。この8月にも、中央アジアのタジキスタンで、テロ対策などを目的にした演習が、アメリカ主導で行われ、モンゴルも参加した。

日本は“第三国の隣国”との関係を進めるべき

モンゴルはどちらか一方に、与(くみ)することはない。もう15年前だが、モンゴルのエンフバヤル大統領(当時)にインタビューしたことがある。外国文化への造詣が深いリーダーだった。大統領は、日本人記者の私に、江戸時代の画家、葛飾北斎の話を突然、持ち出した。

 

「北斎はさまざまな場所から、四季折々の富士を描きましたね。それぞれが富士の魅力を引き出しました」

 

北斎の代表作の一つが、富士山を描いた富嶽三十六景。様々な場所から富士山をとらえた。大統領が言いたかったのは、立つ位置、視点の高低を変えれば、相手の見えなかった部分が見えてくる。優れた点、価値を発見できる。アイデア次第だ――。そういう示唆だった。並み居る大国から経済支援、軍事支援を引き出すモンゴルならではだ。

 

実は、モンゴルの国民は中露への反感が今も根強い。狭い感情を引っ込め、自国の地下資源や地政学的位置を利用しながら、大国と渡り合う。モンゴルの身のこなしこそ、繊細かつ大胆な葛飾北斎の筆致に通じる。

 

ロシアと中国といった二つの隣国に依存するのではなく、モンゴルは日本を「第三の隣国」として重視している。北東アジアの安定のためにも、モンゴルとの関係は大切だ。モンゴルは親日国家であり、二国間関係は順調に発展している。大国間の思惑がぶつかり合う今こそ、第三国の隣国との関係をさらに一歩進めたい。

飯田和郎(いいだ・かずお) 1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。
 

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう

radiko 防災ムービー「いつでも、どこでも、安心を手のひらに。」