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『報道特集』金平茂紀“特任キャスター”に『NEWS23』筑紫哲也のDNA

暮らし
TBSテレビ『報道特集』のキャスター・金平茂紀さんが9月24日、レギュラーMCとしての最後の出演を終えた。10月からは、「特任キャスター」という形で番組に携わる。RKB報道局の神戸金史解説委員は出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、金平さんの著書をもとに『NEWS23』筑紫哲也キャスターから受け継いだ“DNA”について語った。  

金平キャスターが手に持っていたボード

金平茂紀さんは私たちJNNというTBS系ニュースネットワークの中の一つの旗頭である『報道特集』を支えてきた方です。ベラルーシのルカシェンコ大統領の単独インタビューをしたり、いち早くウクライナの現地に入ったり、一人の記者として現場を大事にしている方という印象があります。先日も、あの旧統一教会の会見で「どちらに向かってお詫びしてるんだ」と詰め寄っていました。

 

金平さんが最後にスタジオで述べた言葉を紹介したいと思います。金平さんはいつも外に出る時は、ウクライナでも、ベラルーシでも、木製のボードを持っていました。
僕が12年間使っていた、この原稿を止めるクリップボードです。実は僕の恩師の筑紫哲也さんが、最後のオンエアの日まで使っていたものです。当時危うく捨てられそうになっていたのをスタッフのADさんの1人が拾い上げて保管して、僕に託してくれました。
 
時代遅れのようなこの木製のボードですけども、東日本大震災の被災地ですとか、あるいは福島第一原発の構内、あるいはアフガニスタン、イラク、リビア、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア、アメリカなどの取材現場に持って行きました。何のために自分は報道という仕事を続けているのかを考える時、僕はこのボロボロになったボードを眺めていました。
 
番組はさらに続きます。僕は「特任キャスター」という役割で、より深く、より広く、より長く取材をして、皆さんと随時、この番組でまたお目にかかりたいと思っております。
手元に持ったクリップボード。筑紫哲也さんが使っていたものを拾い上げて使ってきたのです、とおっしゃった時に、私はいろいろなことを考えてしまいました。

 

筑紫哲也さんはご存知の通り、『NEWS23』で長くキャスターを務めました。その前は朝日新聞で「朝日ジャーナル」の編集長をしていたんです。私(神戸)は高校時代から浪人、大学2年生くらいまでの間、筑紫哲也編集長時代の「朝日ジャーナル」を、毎週買っていました。1号も欠かさずに「今週、筑紫さんは何を書いているだろう?」と。

 

「多事争論」というコラムが1ページ目にあって、ずっと読んできました。テレビに移って、1989年『NEWS23』のキャスターとなり「朝日ジャーナル』と同じタイトル「多事争論」というテレビコラムをやっていました。短いコーナーでしたが、必ずキャスターが自分の言葉で述べる。金平さんは、恩師と呼んでいました。

筑紫哲也さんのラストメッセージ

実は今日、1冊の本を持って来たんです。金平さんが去年11月に出版した「筑紫哲也『NEWS23』とその時代」(講談社刊)。金平さんは『23』のスタッフとして筑紫さんとお付き合いしてきて感じたことを書いています。さらに自分が知らなかった時代のことは、TBS社内でいろいろな人に取材をして書いています。

 

TBSも大きな問題に直面したことがありました。オウム真理教問題でビデオテープを見せてしまった時に大変なことになり、筑紫さんは番組で「TBSは死んだ」とまで言いました。もちろんプラスの面もいっぱいあります。去年この本を読んで、私も知っているTBSの人がいっぱい出てきて「あの人は、こんな時にこんなことをしてニュースに携わっていたのか」と驚きました。

 

この本の中に、筑紫さんがキャスターを退くときにしゃべった言葉が引用されています。

「来週から編集長でもなくなります」「18年半を振り返って大特集をやる」とかひと騒ぎするものですが、それをやりません。花束の贈呈もありません。「番組が終わるわけでもなく、私がいなくなるわけではないからです」とおっしゃった後です。
変わらないのは、長い間みなさんの支持によってつくられたこの番組のありようです。それを私たちは「NEWS23のDNA」と呼んできました。力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること。とかく一つの方向に流れやすいこの国で、まあ、この傾向はテレビの影響が大きいんですけれど、少数派であることを恐れないこと。多様な意見や立場を登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと。それを、すべてまっとうできたとは言いません。しかし、そういう意思を持つ番組であろうとは努めてまいりました。これからも、その松明(たいまつ)は受け継がれていきます。
バトンを受け渡していくことの大事さを、筑紫さんはおっしゃっている。そして「私は引き継いできた」ということを、金平さんはおっしゃっている。私たちはどう引き継いでいくのかが問われているのだろう、と金平さんの言葉を聞きながら思いました。

 

筑紫さんのこの言葉について、金平さんは「後続のテレビ報道に携わる者たちへの文字通り遺言だったと僕自身は受け止めていました」と書いています。

大切な『報道特集』という旗

筑紫さんはこの時、がんだとわかっていて退かれたんですが、金平さんはお元気なので、「自分はこれからも取材に行くぞ」という意欲満々でした。

 

私たちが大事にしなきゃいけないのは、言論の多様性とか、違う見方を提示することです。筑紫さんはいつもそうだったと思うんです。金平さんがキャスターを退くと報じられた後で「抗議します」というハッシュタグがすごく広がりました。応援してくれる人がいっぱいいるのはうれしい反面、なぜ抗議するとなってしまうのか、私はよくわかりませんでした。

 

だって、番組である以上、常に存続の危機にあるじゃないですか。視聴率だったり、評判だったり、反響だったり、いろいろな要素はあるかもしれませんが、未来永劫続くというのは絶対にない。私たちはそういう中で生きています。

 

「番組を続けていくためにどうしたらいいか」を考えた時、誰かに引き継がなければいけない時期が必ず来ます。その時に、ぶつ切りで終わってしまってはまずいですよね。だとしたら今回、レギュラー出演はなくなるけれど、金平さんが特任キャスターとしていろいろなテーマに基づいて自分のやりたいことをやって表現する場を作る、というのは全然問題がないと思います。

 

そして今度、調査報道ユニットのキャップ、村瀬健介さんがMCに加わります。非常に優秀な記者で、熱心で、力のある人です。この人が金平さんの代わりに来るというのを、私はとても期待しています。松明をそのままつなごうという人だ、ということでもあるわけです。

 

『報道特集』という番組は、全国ニュースの一つです。私たちRKBも含めたJNNが、総力を挙げて作ろうとしていくものなので、私も何度も作ってきました。スタジオで金平さんと対談もしました。これからも私たちがやっていけるような場として、ニュースの基幹番組の一つとして、ちゃんと位置づけていきたい。RKBからも出していって、そして村瀬さん、膳場さんたちと議論しながら、いろんなものを提示できたらいいなと思っています。

私たち一人一人が松明を継ぐ

筑紫さんがおっしゃった三つの要素を、もう一度振り返ります。
 ①権力を監視すること・・・Watch Dog  ②少数派への共感・・・・Minority  ③何でもありの気風・・・Diversity
筑紫さんが唱えてきた3つ。私は学生時代からこういう言葉に触れて、非常によい刺激を受けました。そして金平さんは実践してきました。村瀬さんもそうでしょう。「筑紫哲也『NEWS23』とその時代」という本にあるように、いろいろな方々が関わっています。そのDNAは、たった1人のキャスターだけじゃなくて、私たちも含めた多くの人に今、引き継がれている。松明はスター1人が掲げるものじゃない。私たち1人1人がその松明を掲げる側に立ちたいと思います。
「筑紫哲也「NEWS23」とその時代」
金平茂紀著、2021年11月1日講談社刊、税別2000円

神戸金史(かんべかねぶみ) 1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。
 

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