中国共産党の最高指導部、つまり政治局常務委員のメンバー7人が選出された。習近平氏のほかの6人はいずれも、習近平氏の「地方勤務時代の部下」や良好な関係にある人ばかり。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長は、出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で「中国に接してきた一人として、こんな落胆したことはない」とコメントした。
ポスト習近平を担う若手の起用は皆無
先週(10月20日)のこの番組で、私は中国共産党大会に、105歳の長老が出席したことに注目し「長老たちが果たした役割が功を奏したかどうかは、党大会閉幕後に判明する最高指導部人事で読み取れる」とコメントした。
選出された中国共産党の最高指導部、つまり政治局常務委員のメンバー7人は、習近平氏のほか新加入の4人、留任の2人。いずれも、習近平氏の「地方勤務時代の部下」だったり、良好な関係にある人ばかりだった。
一方、「ポスト習近平」を担うような、いわゆる若手の起用は皆無だった。そういう意味においては、長老たちが習近平氏に求めた世代交代は結実しなかった。
今回の最高指導部人事のキーワードは「習近平氏への忠誠心」とされる。「ライバルを一掃して」という露骨な人事だ。これまで現地での取材も含めていろいろな人事を見てきたが、中国に接してきた一人として、こんな落胆したことはない。
選出された中国共産党の最高指導部、つまり政治局常務委員のメンバー7人は、習近平氏のほか新加入の4人、留任の2人。いずれも、習近平氏の「地方勤務時代の部下」だったり、良好な関係にある人ばかりだった。
一方、「ポスト習近平」を担うような、いわゆる若手の起用は皆無だった。そういう意味においては、長老たちが習近平氏に求めた世代交代は結実しなかった。
今回の最高指導部人事のキーワードは「習近平氏への忠誠心」とされる。「ライバルを一掃して」という露骨な人事だ。これまで現地での取材も含めていろいろな人事を見てきたが、中国に接してきた一人として、こんな落胆したことはない。
まるで「習近平王朝」という王政のよう
言うまでもないことだが、時に耳に痛いことも忠告してくれる者、異なる意見を持つ者を排し、イエスマンばかりで周囲を固めたら、どうなるのか? 中国に限らず、どこの国であれ、組織は硬直化し、時に間違った方向へ動く。「習近平王朝」という王政のようだ。
異例ともいわれる自身の三期目入りも含め、習近平氏が権力の座に固執する理由は何だろうか。第一には「自分でなければ、難局を乗り越えられない」また、スローガンである「『中華民族の偉大な復興』を成し遂げるのは、自分しかいない」という強い自負心だろう。
第二に「権力をいったん手放す」また「権力の座から落ちる」ことの恐ろしさを、誰よりも習近平氏が体験してきたからではないか。
異例ともいわれる自身の三期目入りも含め、習近平氏が権力の座に固執する理由は何だろうか。第一には「自分でなければ、難局を乗り越えられない」また、スローガンである「『中華民族の偉大な復興』を成し遂げるのは、自分しかいない」という強い自負心だろう。
第二に「権力をいったん手放す」また「権力の座から落ちる」ことの恐ろしさを、誰よりも習近平氏が体験してきたからではないか。
文化大革命で家族そろって迫害
中国の西部、新疆ウイグル自治区で、現地の少数民族に対して著しい人権侵害が続いている。これは国連人権高等弁務官も認定している。人権弾圧は、「異分子を許さない」という習近平指導部の意向が働いている。だが、意外にも習近平氏の父親は、かつてこの新疆ウイグルで、少数民族に宥和的な政策を進めていた。
共産党政権は建国後、新疆で現地のウイグル族をリーダーに据えるなど少数民族に理解を示していた。そのころ、穏健派の支配層としてウイグルへ赴任し、少数民族への締め付け強化に反対していたのが、習近平氏の父親・習仲勲だった。皮肉なことだが、その息子は正反対の政策を取っているわけだ。
習仲勲はもともと日中戦争を経て共産革命に参加した建国の功労者の1人だ。ウイグルで勤務したのち、やがて共産党中央や、中央政府で要職を歴任していく。だが、1960年代に失脚し、16年間にわたって拘束された。
恵まれた家庭環境から暗転。文化大革命の間は、家族も迫害を受けた。両親は大衆の前でさらし者にされ、自己批判をさせられた。
一家は離散。十代だった習近平氏も僻地の農村に入って7年間を過ごした。横穴式住居に住み、農作業や石炭掘りなど厳しい労働に従いた。姉は文化大革命で自ら命を絶ったとの報道もある。辛酸をなめたわけだ。
家族、友人であれ、密告が奨励される中を、生き抜くには、人とどう付き合うか、だれが信用できるか。また権力の残酷さが身についたはず。父親はのちに復活するのだが、高級幹部の子弟であれ、特権の座をいったん放すと地の底まで突き落とされる――。中国社会の恐ろしさ、中国共産党組織の恐ろしさを誰よりも分かっているはずだ。
共産党政権は建国後、新疆で現地のウイグル族をリーダーに据えるなど少数民族に理解を示していた。そのころ、穏健派の支配層としてウイグルへ赴任し、少数民族への締め付け強化に反対していたのが、習近平氏の父親・習仲勲だった。皮肉なことだが、その息子は正反対の政策を取っているわけだ。
習仲勲はもともと日中戦争を経て共産革命に参加した建国の功労者の1人だ。ウイグルで勤務したのち、やがて共産党中央や、中央政府で要職を歴任していく。だが、1960年代に失脚し、16年間にわたって拘束された。
恵まれた家庭環境から暗転。文化大革命の間は、家族も迫害を受けた。両親は大衆の前でさらし者にされ、自己批判をさせられた。
一家は離散。十代だった習近平氏も僻地の農村に入って7年間を過ごした。横穴式住居に住み、農作業や石炭掘りなど厳しい労働に従いた。姉は文化大革命で自ら命を絶ったとの報道もある。辛酸をなめたわけだ。
家族、友人であれ、密告が奨励される中を、生き抜くには、人とどう付き合うか、だれが信用できるか。また権力の残酷さが身についたはず。父親はのちに復活するのだが、高級幹部の子弟であれ、特権の座をいったん放すと地の底まで突き落とされる――。中国社会の恐ろしさ、中国共産党組織の恐ろしさを誰よりも分かっているはずだ。
“共産党信仰”が掟を破った
アメリカのニューヨーク・タイムズが先週、習近平氏が文化大革命で苦境にあった時の様子を報じた。2009年に北京のアメリカ大使館がまとめた機密文書の内容として、当時の友人の証言を伝えている。その友人によると、「習近平氏はどんなに苦しくても、ある信仰を持ち続けた」という。
その信仰とは「中国を救うことができるのは共産党だけだ」という共産党信仰だ。「共産党が君臨する、この国で権力を握れば、神のようになんでも叶う」というわけだ。
信仰する共産党のトップの座に、習近平氏が就いてからの10年間、腐敗撲滅を理由に政敵を次々と粛清するなど、不安の芽を摘み取ってきた。共産党体制だからできる荒業だ。自分が粛清した人間の多くが刑務所にいる。「隙を見せれば自分もやられる」。権力の座にある者がそう考えるのは自然だろう。
人事に口出しする長老たちの発言力を削(そ)いできたことも、今回の最高指導部人事が証明している。権力の要(かなめ)である軍や、公安部門をがっちり掌握した。総仕上げがこれまでの「掟を破る」3期目入りだ。
習近平氏は文化大革命で苦しみ、そして文化大革命を教訓に強権体制を完成させた。中国には今も、文化大革命の亡霊が生きているのかもしれない。
その信仰とは「中国を救うことができるのは共産党だけだ」という共産党信仰だ。「共産党が君臨する、この国で権力を握れば、神のようになんでも叶う」というわけだ。
信仰する共産党のトップの座に、習近平氏が就いてからの10年間、腐敗撲滅を理由に政敵を次々と粛清するなど、不安の芽を摘み取ってきた。共産党体制だからできる荒業だ。自分が粛清した人間の多くが刑務所にいる。「隙を見せれば自分もやられる」。権力の座にある者がそう考えるのは自然だろう。
人事に口出しする長老たちの発言力を削(そ)いできたことも、今回の最高指導部人事が証明している。権力の要(かなめ)である軍や、公安部門をがっちり掌握した。総仕上げがこれまでの「掟を破る」3期目入りだ。
習近平氏は文化大革命で苦しみ、そして文化大革命を教訓に強権体制を完成させた。中国には今も、文化大革命の亡霊が生きているのかもしれない。
プーチン大統領を反面教師に?
高級幹部の子弟として、自身はもちろん、付き合いのある友人の父親、その家族である友人たちが受けた「いわれなき」、「理不尽な」迫害を多く見てきたのだろう。テクノクラートには理解できない体験かもしれない。
習近平氏はこうして「異論を許さない強権体制」を築き上げた。さらに背景を探れば、ウクライナとの戦争で、苦境に立ちつつあるロシアのプーチン大統領も、反面教師にしているのではないか。
そもそも強権国家・ソ連が崩壊し、民族・宗教問題が火を噴いた。ソ連から独立した国家は、ベラルーシを除いて、このウクライナ紛争に及んで、ロシアとの間で距離をおいている。プーチン氏をもってしても、かつてのソ連の復活はできない。それを隣国から注視してきた習近平氏にすれば、国土の分離はもちろん許せない。国内での締め付けと、そこに君臨する強い「王」が必要と考えるのだろう。
共産党大会、それに自分が描いたとおりの最高指導部の人事を成功させた習近平氏は一見、自信満々に見える。だが、むしろ「不安いっぱいだから、強権を振るう」そう見ることはできないだろうか。これまた、中国の古代王朝の再来のようにさえ思える。歴史は証明している。徳があり、臣下(=家来)を信頼し、そして民を慈しむ王なら、暴挙にも思える行為は慎むだろう。
飯田和郎(いいだ・かずお) 1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。
習近平氏はこうして「異論を許さない強権体制」を築き上げた。さらに背景を探れば、ウクライナとの戦争で、苦境に立ちつつあるロシアのプーチン大統領も、反面教師にしているのではないか。
そもそも強権国家・ソ連が崩壊し、民族・宗教問題が火を噴いた。ソ連から独立した国家は、ベラルーシを除いて、このウクライナ紛争に及んで、ロシアとの間で距離をおいている。プーチン氏をもってしても、かつてのソ連の復活はできない。それを隣国から注視してきた習近平氏にすれば、国土の分離はもちろん許せない。国内での締め付けと、そこに君臨する強い「王」が必要と考えるのだろう。
共産党大会、それに自分が描いたとおりの最高指導部の人事を成功させた習近平氏は一見、自信満々に見える。だが、むしろ「不安いっぱいだから、強権を振るう」そう見ることはできないだろうか。これまた、中国の古代王朝の再来のようにさえ思える。歴史は証明している。徳があり、臣下(=家来)を信頼し、そして民を慈しむ王なら、暴挙にも思える行為は慎むだろう。
飯田和郎(いいだ・かずお) 1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。
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