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松田聖子「小麦色のマーメイド」は“1982年夏の問題作”!?松尾潔が解説

ラジオ
今年還暦を迎えた、永遠のアイドル・松田聖子。40年前、彼女が20歳のときにリリースされた「小麦色のマーメイド」を、音楽プロデューサー松尾潔氏は“問題作”と評している。その理由を、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で解説した。  

福岡の夏を知る人たちが手がけた松田聖子の夏のヒット曲

松田聖子さんは今年の3月に60歳、還暦を迎えました。でもずっと“聖子ちゃん”ってイメージを持っていて、日本の芸能史を見ても、稀有な存在です。

 

きょうのテーマは「1982年の松田聖子」。聖子さんは1980年に18歳の誕生日を迎えてすぐデビューしたんですが、それから2年ちょっと経った82年の夏ぐらい、このあたりが松田聖子さんの、その後の“異例の長寿政権”を築くきっかけになった時期だと思います。

 

その82年の夏を見る前に、デビューからの2年間を振り返ります。1980年4月に「裸足の季節」でデビューした聖子さんが、その3か月後、1980年7月1日に2枚目のシングルとしてリリースしたのが「青い珊瑚礁」です。これが大ヒットし、まずは大きなブレイクを果たします。ちなみに「裸足の季節」はオリコントップテンに入っていないんです。12位という、ちょっと控えめなデビュー。かたや「青い珊瑚礁」は2位。これをきっかけに、聖子さんは「夏のヒット曲」が続きます。

 

ここで登場するのが、編曲を担当した大村雅朗さん。大村さんは、奈良屋小学校から博多二中、大濠高校というバリバリの博多っ子なんです。聖子さんは久留米出身で、これで福岡の2人が関わったヒット曲だという見方もできます。

 

その翌年、81年7月にリリースしたのは「白いパラソル」。この編曲は引き続き大村雅朗さんなんですが、作曲はその一つ前の「夏の扉」も手がけた財津和夫さんです。福岡出身が3人揃いました。つまり「白いパラソル」で描かれているのは、福岡の夏を知っている人たちが描いた情景だということです。

感度の高いミュージシャンがアイドルの曲を作る先進性

ただ、作詞を手がけたのは松本隆さん。この頃は松本さんが実質的に聖子さんのクリエイティブプロデューサー的な位置にいたと考えていいでしょう。「白いパラソル」のあと81年秋に「風立ちぬ」がリリースされました。これは秋の曲ですが、松本隆さんが“はっぴいえんど”のときの盟友・大滝詠一さんを作曲に迎えました。この辺りから、聖子さんは、「ただのアイドルじゃない」というブランディングが整ってきます。

 

つまり、感度の高いミュージシャンたちが、松田聖子というアイドルの仕事をやりたがるという。今はどんなクリエイターがアイドルの曲を手がけても、抵抗なくそれを受け入れることができますが、この頃はまだアイドルの曲は、いわゆる職業作家たちが手がけるのが一般的で、そういう意味でも聖子さんのケースは先進的で、その後のアイドル業界のあり方に一石を投じた気がします。

はっぴいえんど・松任谷夫妻による無血革命

いよいよ82年に話題を移します。この年、世界で一番売れたアルバムという記録をいまも保っている、マイケル・ジャクソンの「スリラー」が出ました。ある種クライマックスを迎えた年と言ってもいいでしょう。この82年1月に聖子さんがリリースした「赤いスイートピー」で、初めて作曲・松任谷由実さん、編曲・松任谷正隆さんが起用されます。

 

このあたりになってくると、聖子さんのレコードを買う行為が、松任谷夫妻のレコードを買うのとニアリーイコールになってきます。一方では、近藤真彦さんの曲を山下達郎さんが手がける。そこにも松本隆さんの影があるわけですが、松本さんの“はっぴいえんど”という、日本を代表するロックバンドがアイドル業界に入ってきて無血革命をどんどん成功させていったという時代です。

問題作「小麦色のマーメイド」はこうして生まれた

その「赤いスイートピー」という曲の大成功受けて、再び作詞・松本隆、作曲・松任谷由実(ペンネーム・呉田軽穂)、編曲・松任谷正隆というトリオで手がけた、82年夏の“問題作”が「小麦色のマーメイド」です。

 

これ、リアルタイムで知らない番組のディレクターに聞いてもらったら「サビがないですね」って言っていました。発売当時、僕は中学生でしたけど「サビないな」と思っていました。これが実際当時のアイドルポップスとしては、極めて異例の、わかりやすいサビのない曲です。

 

この曲はレコード会社のCBS・ソニーのスタッフも、最初にデモを聞いて「これサビないじゃん」っていう話になったそうなんです。だけど松任谷夫妻が「いや、これがいいんです」ということで押し通して。この頃のユーミンのアルバム「昨晩お会いしましょう」「PEARL PIERCE」の収録曲に、わりとこういう曲調が多くて、当時の松任谷夫妻の間で流行っていたサウンドだと思うんです。

 

それにしても、ユーミンの当時のシングルはもうちょっとキャッチーだったから、アルバム収録曲のような、ちょっと通好みのみのおしゃれな曲を、松田聖子さんがスターであることを担保にして、あえてシングルに切ったというような感じでしょうか。

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