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「Unforgettable」父とデュエットしたナタリーコールの名曲を松尾潔が解説

日本時間2月6日、第65回グラミー賞の発表がアメリカ・ロサンゼルスで行われ、日本人アーティストでは西城秀樹さんのおいで作編曲家の宅見将典さんがマサ・タクミ名義で発表したアルバム「SAKURA」が最優秀グローバル・ミュージック・アルバム賞を受賞した。そのグラミー賞で今も歴史と人々の記憶に残っている女性シンガー、ナタリーコールの誕生日に絡めて、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した音楽プロデューサー・松尾潔氏が彼女の功績を解説した。    

華々しいデビューを飾った“セレブ2世”

1992年のソング・オブ・ザ・イヤー、最優秀楽曲賞に選ばれたのが、ナタリーコールの「Unforgettable」です。
約30年前に音楽シーンの頂点に立った彼女の父は、ナットキングコールという有名なジャズシンガー、ピアニストです。日本でも美空ひばりさんがカバーしたことで有名な「Love」や「When I Fall in Love With You」などのスタンダードナンバーで知られています。

 

ナタリーコールは1950年2月6日に生まれました。国民的シンガーの娘として育ってきて、いわゆるセレブ2世なんです。当時のアフリカンアメリカンの平均的なイメージと違った青春時代を過ごして、鳴り物入りで歌手デビューします。子供の頃から父の名のもとで歌っていて、有名になったのは1975年の「This Will Be」です。当時の黒人シンガーとしては珍しく、デビュー曲がいきなりビルボードでチャート入り。大ヒットしました。

 

さらに、グラミー賞の最優秀R&B女性ボーカル賞と、1人しか選ばれない最優秀新人賞に選ばれています。華々しいデビューで20歳を飾っているんです。1976年には日本でも人気を博します。そのとき東京音楽祭で歌った「Mr. Melody」は、当時大変ヒットしたという記録が残っています。僕はさすがに当時7、8歳ぐらいなので、あんまり記憶にないんですが、僕よりちょっと年上の久保田利伸さんは「自分が生まれて初めて気になったブラックミュージックだった」と言っていました。

復活劇を経て生まれた亡き父とのデュエット曲

ナタリーコールは1970年代の半ばから世に出て快進撃を続けるんですが、80年代にはスランプに入ってしまいます。当時の夫はマービーアンシー、彼女のプロデューサーも務め、まさに公私に渡るパートナーだったんですが、悲劇がやってきます。パートナーが早くに亡くなり、彼女は薬物中毒に陥ってしまい、リハビリ施設に入ることになりました。

 

80年代はもう忘れられている感じもあったんですが、80年代半ばから少しずつ活動を再開して、1987年に「Everlasting」というアルバムで本格的なカムバックに成功することになります。ブルース・スプリングスティーンがかつてCMのカップリングで出していた「ピンクキャデラック」を、ナタリーコールスタイルでカバーしてヒットさせて、「やっぱり歌うまい」と再注目されました。

 

当時、ホイットニーヒューストンが80年代半ばにデビューして、その仕掛け人としても知られていたマイケルマッサという名作曲家と組んで、バラードのヒットを出し、80年代の終わりにはナタリーコール完全復活という状況を作りました。ナタリーコールのルーツは父が歌っていたジャズで、原点回帰ということになるんですけれど、1991年に「Unforgettable」という、父の代表曲の一つをそのままタイトルにしたスタンダードジャズアルバムをリリースしました。

 

そこに収められていた表題曲「Unforgettable」は、当時としては大変珍しい、すでに亡くなっている父のボーカルとの疑似デュエットという、当時の最新技術で親子デュエットを成功させます。先日の番組で、レイラ・ハサウェイがお父さんのダニー・ハサウェイになりましたと言いましたが、そういった方法論のルーツになったのがこの「Unforgettable」なんです。

 

この曲は1992年のグラミー賞ソング・オブ・ザ・イヤーで優勝します。元々1951年にアーヴィング・ゴードンが作曲しているので、作られて40年後にカバーされたものがグラミー賞でソング・オブ・ザ・イヤーを受賞したことになります。「名曲は色あせない」を実証した曲ですよね。父ナットキングコールは1965年、ナタリーコールが15歳のときに亡くなっているんですが、父を軸に考えると、没後四半世紀が経過した戦前の歌声が、ソング・オブ・ザ・イヤーに輝いたという珍記録にもなりました。

ポップシンガーがジャズアルバムを作るときの見本

この曲を含むアルバム「Unforgettable」は本当に優れていて、ジャズアルバムでありながらポップチャートで4週連続ナンバーワンになり、以後レディー・ガガに至るまでポップシンガーがジャズアルバムを作るときの見本にもなっています。

 

僕はJUJUさんのジャズアルバムを3枚プロデュースしていますが、やっぱりナットキングコールとナタリーコールの成功例は常に念頭にあります。「世界中のポップシンガーがジャズに挑戦」なんていうフレーズをよく聞きますが、みんなナタリーコールの後を追っているという気もします。

 

そんな影響力のあるナタリーコールは、受賞から20年以上経った2015年の大晦日に65歳で亡くなりました。ただ、今でも私たちの心の中には、ナタリーコールの音楽が残っています。生きていれば今年2月6日で73歳だった誕生日を祝ってお話しました。

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