毎年香港で開催される食品見本市「香港フードエキスポ」。
今後著しい成長が見込まれるアジアへの進出を目指し世界中から集まった様々な製品の中に、鹿児島の芋焼酎もあった。主に南九州で作られる芋焼酎は、日本では市民権を得ているものの、世界ではまだ知名度が低く、今後の広がりが期待されている。
行政はもちろん、鹿児島県内の酒造メーカーも攻勢をかけ始めた。鹿児島市の大手メーカー・本坊酒造は、主力商品の芋焼酎がアルコール飲料の世界的なコンクールで受賞したこともあり、これまでの洋酒に加え、芋焼酎でもアジア進出を目指している。
本坊和人社長(60)は「アジアは非常に大きなマーケットで、広く深く仕事をしないといけない」と語る。
一方で、比較的規模の小さな焼酎蔵・垂水市の八千代伝酒造の八木健太郎専務(31)も「まず、焼酎は美味しいということを知ってもらおう」と、アジア各国を巡る地道な営業活動を続けている。
香港フードエキスポでも、地元の人気料理研究家とタッグを組み、芋焼酎のPRに努めた。その甲斐あって、少しずつではあるものの香港でも焼酎が飲まれるようになり始めている。
「やがては、世界で親しまれる焼酎に。」世界を目指す挑戦を紹介する。
今後著しい成長が見込まれるアジアへの進出を目指し世界中から集まった様々な製品の中に、鹿児島の芋焼酎もあった。主に南九州で作られる芋焼酎は、日本では市民権を得ているものの、世界ではまだ知名度が低く、今後の広がりが期待されている。
行政はもちろん、鹿児島県内の酒造メーカーも攻勢をかけ始めた。鹿児島市の大手メーカー・本坊酒造は、主力商品の芋焼酎がアルコール飲料の世界的なコンクールで受賞したこともあり、これまでの洋酒に加え、芋焼酎でもアジア進出を目指している。
本坊和人社長(60)は「アジアは非常に大きなマーケットで、広く深く仕事をしないといけない」と語る。
一方で、比較的規模の小さな焼酎蔵・垂水市の八千代伝酒造の八木健太郎専務(31)も「まず、焼酎は美味しいということを知ってもらおう」と、アジア各国を巡る地道な営業活動を続けている。
香港フードエキスポでも、地元の人気料理研究家とタッグを組み、芋焼酎のPRに努めた。その甲斐あって、少しずつではあるものの香港でも焼酎が飲まれるようになり始めている。
「やがては、世界で親しまれる焼酎に。」世界を目指す挑戦を紹介する。
取材後記
私が大学生だった1990年代、東京で「焼酎」といえばいわゆる甲類焼酎のことで、そもそも芋焼酎なんてものをあまり見かけなかったように思います。それが2000年代の“焼酎ブーム”を経て、今では日本全国各地で芋焼酎を楽しめるようになりました。この間技術的な革新も進み、味が洗練されるとともに様々な商品が登場。焼酎専門店に行くと、数えきれないくらいの銘柄の焼酎がずらっと並んでいます。
そんな中、国内の焼酎ブームが一服したこともあり、焼酎メーカーの視線は海外へ向いています。番組で紹介したように、芋焼酎が知られていない海外市場、特にアジアでは、今後の需要拡大が見込まれています。その一方で、言葉や文化の違い、そして関税など様々な障壁が存在するのもまた事実。持っていって売ればいい、という簡単な話ではないようです。各メーカーはそれぞれの方法で販路を模索していて、鹿児島県も、例えば今年1月には上海で大規模な試飲会を開催するなど、芋焼酎や黒糖焼酎の海外進出を積極的に後押しし続けています。
鹿児島弁で、晩酌のことを「だれやめ」といいます。かつての焼酎ブームで日本中に広まっていったように、今度は世界中に芋焼酎が広まり、海外旅行先でも、一番搾りと芋焼酎で「だれやめ」ができる日が来ることを願っています。
そんな中、国内の焼酎ブームが一服したこともあり、焼酎メーカーの視線は海外へ向いています。番組で紹介したように、芋焼酎が知られていない海外市場、特にアジアでは、今後の需要拡大が見込まれています。その一方で、言葉や文化の違い、そして関税など様々な障壁が存在するのもまた事実。持っていって売ればいい、という簡単な話ではないようです。各メーカーはそれぞれの方法で販路を模索していて、鹿児島県も、例えば今年1月には上海で大規模な試飲会を開催するなど、芋焼酎や黒糖焼酎の海外進出を積極的に後押しし続けています。
鹿児島弁で、晩酌のことを「だれやめ」といいます。かつての焼酎ブームで日本中に広まっていったように、今度は世界中に芋焼酎が広まり、海外旅行先でも、一番搾りと芋焼酎で「だれやめ」ができる日が来ることを願っています。
担当 MBC 南日本放送 永野 志郎
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