大阪地検特捜部が捜査した事件で威圧的な取り調べをしたとして、特別公務員暴行陵虐罪に問われた元特捜部検事、田渕大輔被告の初公判が7月10日、大阪地裁で開かれました。田渕検事については「検察なめんなよ」などと大声を出したことが報じられていましたが、元東京地検特捜部の検事も同じ罪に問われて、刑事法廷で裁かれることになります。
現職の検事2人が取り調べをめぐって刑事被告人になっているという異例の事態について、東京地検特捜部をはじめとする検察の取材経験が長く、裁判も含めた司法の担当記者だった山本修司さんが、7月17日放送のRKBラジオ『立川生志 金サイト』でコメントしました。
異例の事態を生んだ「付審判請求」とは
公務員の職権乱用、今回は検事による威圧的な取り調べですが、これについて被害を受けた人は検察当局に告訴・告発できます。これが不起訴処分、すなわち「裁判にはかけない」と判断された場合に、不服があれば裁判所に刑事裁判を開くよう求めることができます。これを「付審判請求」と言います。ちょっとわかりにくい用語ですが、審判は裁判ですから、裁判に付ける、つまり裁判にかけることを求めるということで、付審判請求というわけです。
日本では、起訴するかどうか、裁判にかけるかどうかの権限は検察官だけが独占していて(「起訴独占主義」といいます)、またその裁量に任されています(「起訴便宜主義」といいます)。公務員が告訴・告発の対象となった場合、同じ公務員ということで検察官の判断が甘くなるおそれがあるということで、不起訴とした場合に被害を受けた人の請求によって、裁判所が判断する制度として付審判請求があるのです。
裁判所が「裁判にかけるべきだ」と決定(付審判決定といいます)すると、検察官が起訴しなくても、自動的に起訴があったとみなされて、刑事裁判手続きに入ることになります。ですから、本来、罪を追及する側の検察官が被告の座に付き、検察官役は裁判所が選任した弁護士が務め、自らにも弁護士が付きます。通常の刑事裁判とは攻守が全く入れ替わった形になりますので、これだけを見ても異例ですね。
付審判請求がこれまでどれくらいあったかといいますと、統計が残る1984年以降、約1万7000件の請求があったのですが、認められた決定はわずか11件、率にしてわずか0.06%です。もとが検察当局の捜査を経て不起訴となった案件ですので、低いのはある意味当然なのですが、これまでは主に警察官や刑務官が対象だったのに、初めて対象となる現職検事が2件続いたことですので、これはやはり大変なことであることは間違いありません。
検察の歴史を分けた「郵便不正事件」
では、なぜこのような事態が起きているのかについて、説明したいと思います。2009年に「郵便不正事件」という大阪地検特捜部が摘発した事件がありました。実体のない障害者団体に郵便料金割引制度の適用を認める偽証明書を発行したという容疑で、厚生労働省局長だった村木厚子さんを逮捕、起訴したものですが、このとき、特捜部の主任検事が証拠を改ざんしたことが分かり、この主任検事に加えて、特捜部長までも逮捕されたのです。
村木さんは当然無罪になりました。検察にとっては歴史的な汚点です。それで検察内部では、この事件以前を「戦前」、それ以後を「戦後」と呼んでいて、検察の歴史を二分するほどの衝撃があったことを物語ります。そして、この事件以降、取り調べの録音・録画が本格化しという経緯もあります。
ですから、現職検事の取り調べが2件相次いで刑事法廷で罪に問われるということは、いわゆる「戦後」も、検察の体質は変わっていないではないか、という批判につながるわけです。私は、いわゆる「戦前」でも大半の検事は適正な取り調べをしてきたと思っているのですが、威圧的な取り調べがなくならないのには理由があると考えています。
評価を焦る検事と「割る」ことへの執着
検察内部では、容疑者を取り調べて、完全に罪を認めて自白させることを「割る」と言います。自白を取るのが巧みな検事は「割り屋」などといわれて重宝されていたものです。私が担当記者時代には、検察の幹部との間で「(容疑者の)●●が割れてないんだよね」とか、「(検事の)●●がまだ割ってないんだよ」などという話になったことがあります。当時はいわゆる「戦前」ではあっても「自白偏重はよくない」と一般に言われている中で、やはり「割る」ことへのこだわりには強いものがあったのです。
2003年に国会議員の鈴木宗男さんがあっせん収賄罪で東京地検特捜部に逮捕された事件があり、その過程で逮捕された元外務省主任分析官で現在作家の佐藤優さんと、取り調べを担当した西村尚芳検事が対談した『特捜取調室』という本が出ている(私はこの事件を担当したので思わず買って読みました)のですが、その中で西村さんは威圧的な取り調べについて「うまくしゃべらせないと自分の評価が低くなるのではないかと焦る検事がいる」と言っています。「自分が名を上げたいという意欲が強すぎると上から目線で調べてしまう」とも言っています。現職の特捜検事だった人が言うのだからそうなのでしょう。実際、私も先ほど言った「割り屋」といわれる検事から「実はずいぶん無理をしていた」と聞いたこともあります。
西村さんも声を荒げたことがあると明かしています。「そんなバカのことがあるか!」と怒鳴ったそうですが、容疑者が明らかに嘘の供述をしたからだということです。取り調べで淡々と「はい、そうですか」というわけにいかないことが多いのも当然のことです。
かつて取材した中で、何日もかけて資料をシュレッダーにかけて証拠を隠滅したとか、客観証拠があっても否認するということは何度もありました。巨悪は眠らせてはいけませんし、罪は償ってもらわなければなりませんので、検察官には果敢に捜査し、厳正に取り調べをしてもらわなければなりません。今回の件で、萎縮するようなことがあってはなりません。
萎縮なき厳正な取り調べとの境界線
実は、田渕検事の弁護人は、大阪で刑事弁護委員長を務めた弁護士で、検察と対峙して取り調べの録音・録画制度の導入を強く訴えてきた人物です。私は、ここに注目しています。弁護方針については「取り調べが不適正といっても濃淡があり、犯罪はその最高に位置する」と言っています。つまり、「問題はあるが、罪に問うほどの取り調べなのか」ということですが、私はここに大変フェアな姿勢を感じていまして、取り調べの違法性の分かれ目がはっきりする意義は大きいと思います。
「検察なめんなよ」と大声を出すような威圧的で不当な取り調べは絶対にあってはなりません。一方で、検察官は萎縮することなく、犯罪を暴くために厳正な取り調べをしなければなりません。そんな問題意識を持ちながら、今回の裁判を見ていきたいと思います。
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この記事を書いたひと

山本修司
1962年大分県別府市出身。86年に毎日新聞入社。東京本社社会部長・西部本社編集局長を経て、19年にはオリンピック・パラリンピック室長に就任。22年から西部本社代表、24年から毎日新聞出版・代表取締役社長。






















