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松尾潔、字幕監修した映画『ホイットニー・ヒューストン』を語る

黒人女性として初めて世界的な成功を収めたスーパースター、ホイットニー・ヒューストンの「光と影」を描いた自伝映画の魅力を、字幕監修した音楽プロデューサー・松尾潔さんがRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で解説した。    

ホイットニー・ヒューストンの伝記映画の字幕を監修

公開が始まった映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』は、私が字幕を監修しました。軽く見ていたわけじゃないんですが、字幕監修という仕事、やってみると結構大変でした。

 

映画はホイットニー・ヒューストンと、彼女の音楽業界、芸能界における親的な存在と言われていたアメリカの音楽業界の裏方の超大物、クライヴ・デイヴィス、この2人の心の交流を描いています。

 

僕はこの2人とも直接会って一緒に仕事をした経験がありましたし、ホイットニーの最初の夫だったボビー・ブラウンとは特に何度も時間を重ねています。そういった経験を見込まれて、お声がけをいただきました。

 

『ボヘミアン・ラプソディ』もそうでしたが、この映画のホイットニー・ヒューストンの歌声は、全て本人のものを使っているんです。ホイットニーはクイーンよりももっと若い世代ですから、デビュー前からいい状態で録音が残っていました。

 

だから、映画を見に行くという体験がほぼそのまま、彼女のライブコンサートに行くような、そういった楽しみ方もあります。上映時間も2時間半ぐらいあって、結構なボリュームですから、いろんな角度で楽しめる映画になっています。

ホイットニーと映画は相性がいい

ホイットニーと映画は相性がいい

ホイットニー・ヒューストンと映画はすごく相性がいい、という話をします。世界的に彼女の名前が広まったのは、1992年暮れに公開された映画『ボディーガード』の主題歌「I Will Always Love You」ですよね。当時、人気絶頂のケビン・コスナーからの直々の指名でした。

 

この作品、1970年代にダイアナ・ロスとスティーブ・マックイーンという組み合わせで1回企画されているんです。でも「白人のボディーガードと黒人の女性シンガーの道ならぬ恋」という設定が、70年代だと時期尚早だったようで。それが92年になると世界的に大成功をおさめました。

 

ホイットニーは90年代にあと2本、主演作品があります。95年の『ため息つかせて』。『ボディーガード』に比べると小さな映画なんですが、アフリカンアメリカンの女性4人が、ままならぬ人生をどうサバイブしていくかを丹念に描いた群像劇で、いい作品でした。

 

映画を撮ったのが、のちに『ラストキング・オブ・スコットランド』でアカデミー賞を受賞することになる、フォレスト・ウィテカー。『ため息つかせて』は日本ではそこまで人気ではなかったんですが、サウンドトラックをアメリカ屈指のR&Bプロデューサー、ベイビーフェイスが手がけたということでも話題になりました。

 

あともう一つ、96年のクリスマス時期に公開された『天使の贈りもの』は、デンゼル・ワシントンとホイットニーのダブル主演で、クリスマス映画としてすごくおすすめです。

 

ほかにアメリカだけで公開されたテレビ映画『シンデレラ』でホイットニーはシンデレラの母親役を務めました。90年代に獲得したこの演技キャリア、実はあまり長く続きませんでした。とういうのも、私生活で「薬物」という大きな問題を抱えていたからです。

 

デビューした85年から90年代の半ばまでは、音楽にしても映画にしても前例がないほどの順風満帆のキャリアで、アメリカ黒人女性として初めて世界的な大きな成功を掴んだと言われています。そんな彼女がその後なぜ失速したのか? ここに人生の、あるいは「ショービジネスの闇」っていうのがあるんです。
ホイットニー・ヒューストンと映画はすごく相性がいい、という話をします。世界的に彼女の名前が広まったのは、1992年暮れに公開された映画『ボディーガード』の主題歌「I Will Always Love You」ですよね。当時、人気絶頂のケビン・コスナーからの直々の指名でした。

 

この作品、1970年代にダイアナ・ロスとスティーブ・マックイーンという組み合わせで1回企画されているんです。でも「白人のボディーガードと黒人の女性シンガーの道ならぬ恋」という設定が、70年代だと時期尚早だったようで。それが92年になると世界的に大成功をおさめました。

 

ホイットニーは90年代にあと2本、主演作品があります。95年の『ため息つかせて』。『ボディーガード』に比べると小さな映画なんですが、アフリカンアメリカンの女性4人が、ままならぬ人生をどうサバイブしていくかを丹念に描いた群像劇で、いい作品でした。

 

映画を撮ったのが、のちに『ラストキング・オブ・スコットランド』でアカデミー賞を受賞することになる、フォレスト・ウィテカー。『ため息つかせて』は日本ではそこまで人気ではなかったんですが、サウンドトラックをアメリカ屈指のR&Bプロデューサー、ベイビーフェイスが手がけたということでも話題になりました。

 

あともう一つ、96年のクリスマス時期に公開された『天使の贈りもの』は、デンゼル・ワシントンとホイットニーのダブル主演で、クリスマス映画としてすごくおすすめです。

 

ほかにアメリカだけで公開されたテレビ映画『シンデレラ』でホイットニーはシンデレラの母親役を務めました。90年代に獲得したこの演技キャリア、実はあまり長く続きませんでした。とういうのも、私生活で「薬物」という大きな問題を抱えていたからです。

 

デビューした85年から90年代の半ばまでは、音楽にしても映画にしても前例がないほどの順風満帆のキャリアで、アメリカ黒人女性として初めて世界的な大きな成功を掴んだと言われています。そんな彼女がその後なぜ失速したのか? ここに人生の、あるいは「ショービジネスの闇」っていうのがあるんです。

『ボヘミアン・ラプソディ』と同じ脚本家

『ボヘミアン・ラプソディ』と同じ脚本家

今回、字幕監修として関わったおかげで、映画制作の“根本の部分”から知ることができたので、少しお話します。ホイットニー・ヒューストンが亡くなったのは2012年。だから、没後10年の節目の映画ということになります。

 

映画を撮ったのは80年代には女優として活躍していた、ケイシー・レモンズという、同じ黒人女性です。そして主演も、もちろんホイットニー・ヒューストンですから、黒人女性。イギリスの女優ナオミ・アッキーさん。『ボヘミアン・ラプソディ』と同じで、初めは「似ているかな?」みたいな感じで、本人と比較しちゃうんですが、途中からもうホイットニーにしか見えなくなってきます。

 

脚本もよくできていて、光だけじゃなくて影の部分を丹念に描き込んでいます。書いたのは、アンソニー・マッカーテン、『ボヘミアン・ラプソディ』と同じ脚本家なんですね。ですからあの映画のメソッドがここでも十分に使われています。クライマックスで伝説的なパフォーマンスシーンを再現するというのも『ボヘミアン・ラプソディ』と同じです。

ホイットニーの光と影

今回、字幕監修として関わったおかげで、映画制作の“根本の部分”から知ることができたので、少しお話します。ホイットニー・ヒューストンが亡くなったのは2012年。だから、没後10年の節目の映画ということになります。

 

映画を撮ったのは80年代には女優として活躍していた、ケイシー・レモンズという、同じ黒人女性です。そして主演も、もちろんホイットニー・ヒューストンですから、黒人女性。イギリスの女優ナオミ・アッキーさん。『ボヘミアン・ラプソディ』と同じで、初めは「似ているかな?」みたいな感じで、本人と比較しちゃうんですが、途中からもうホイットニーにしか見えなくなってきます。

 

脚本もよくできていて、光だけじゃなくて影の部分を丹念に描き込んでいます。書いたのは、アンソニー・マッカーテン、『ボヘミアン・ラプソディ』と同じ脚本家なんですね。ですからあの映画のメソッドがここでも十分に使われています。クライマックスで伝説的なパフォーマンスシーンを再現するというのも『ボヘミアン・ラプソディ』と同じです。

ホイットニーの光と影

『ボヘミアン・ラプソディ』では、セクシャルも人種もマイノリティだったフレディ・マーキュリーの、成功すればするほど影が濃くなっていくという“人生のままならなさ”を描いて、人の心を打ったわけですが、今回もそれを踏襲していると言っていいと思います。

 

というのも、ホイットニーはアメリカ黒人女性として、かつてない世界的な規模の成功をおさめましたが、一方で、人種差別や男女差別といったものに抗い続け、結局勝利を収めることなく、人生を自ら絶ってしまった。いろんな意味でやっぱりフェミニズム映画なんです。

 

父親がすごく支配的な人で、娘からどんどん搾取していくんですね。「お前を育てたのは俺だ」という父親に対して、ホイットニーが「ボスは私で、私がお父さんをマネージャーとして雇ってんのよ」って言い返す場面とか、すごく象徴的です。

 

そんな旧態依然とした家父長制にあらがおうとしたホイットニーなんですが、一方で恋愛面においては大いなる自己矛盾があって、父親の縮小コピーのような、ボビー・ブラウンという支配欲の強い男に惹かれるんです。人を好きになる感情は、なかなか理屈では説明できないところありますが、そういった矛盾を抱えながら生きて、結局全ては克服できない。

 

そのときにドラッグに頼ってしまうっていう、本当に弱い人なんです。ホイットニーって、華やかな容姿と、あの超ハイトーンボーカルが、きらびやかな印象を与えてくれます。それは素晴らしいスターの成せる業だと思いますが、僕は音楽を制作する人間ですから、ホイットニー・ヒューストンの歌の魅力を探ってしまいます。

 

声だけでいうと、高いだけじゃなくて、ハスキーな低音部がずっと下から支えていた。そして音楽も、人種や民族を超えてヒットしたって言われていますが、そのベースにあるのは黒人音楽に根ざしたゴスペルとか、教会音楽です。

 

キラキラ見えるものにも多重構造があって、我々はいつも見たいところだけ、輝いているところだけを見ている。この映画は時間が経った今、そういったことを教えてくれます。

 

だからクリスマスのデートムービーとして見るのももちろん素敵なんですが、ぜひ1人でじっくりご覧になって、自分と向き合う時間にするというのも、この映画の見方の一つだというふうに僕は思いますね。

 

ハリウッドにおける「#MeToo」ムーブメントが定着し、さらに新型コロナの流行もあって、この数年間は多くの人が自分自身の生き方や多様性を、より深く考えるようになりました。そのタイミングだからこそ、日の目を見たホイットニーの物語という印象が僕には強いですね。

「ホイットニーのすべてを描く」

『ボヘミアン・ラプソディ』では、セクシャルも人種もマイノリティだったフレディ・マーキュリーの、成功すればするほど影が濃くなっていくという“人生のままならなさ”を描いて、人の心を打ったわけですが、今回もそれを踏襲していると言っていいと思います。

 

というのも、ホイットニーはアメリカ黒人女性として、かつてない世界的な規模の成功をおさめましたが、一方で、人種差別や男女差別といったものに抗い続け、結局勝利を収めることなく、人生を自ら絶ってしまった。いろんな意味でやっぱりフェミニズム映画なんです。

 

父親がすごく支配的な人で、娘からどんどん搾取していくんですね。「お前を育てたのは俺だ」という父親に対して、ホイットニーが「ボスは私で、私がお父さんをマネージャーとして雇ってんのよ」って言い返す場面とか、すごく象徴的です。

 

そんな旧態依然とした家父長制にあらがおうとしたホイットニーなんですが、一方で恋愛面においては大いなる自己矛盾があって、父親の縮小コピーのような、ボビー・ブラウンという支配欲の強い男に惹かれるんです。人を好きになる感情は、なかなか理屈では説明できないところありますが、そういった矛盾を抱えながら生きて、結局全ては克服できない。

 

そのときにドラッグに頼ってしまうっていう、本当に弱い人なんです。ホイットニーって、華やかな容姿と、あの超ハイトーンボーカルが、きらびやかな印象を与えてくれます。それは素晴らしいスターの成せる業だと思いますが、僕は音楽を制作する人間ですから、ホイットニー・ヒューストンの歌の魅力を探ってしまいます。

 

声だけでいうと、高いだけじゃなくて、ハスキーな低音部がずっと下から支えていた。そして音楽も、人種や民族を超えてヒットしたって言われていますが、そのベースにあるのは黒人音楽に根ざしたゴスペルとか、教会音楽です。

 

キラキラ見えるものにも多重構造があって、我々はいつも見たいところだけ、輝いているところだけを見ている。この映画は時間が経った今、そういったことを教えてくれます。

 

だからクリスマスのデートムービーとして見るのももちろん素敵なんですが、ぜひ1人でじっくりご覧になって、自分と向き合う時間にするというのも、この映画の見方の一つだというふうに僕は思いますね。

 

ハリウッドにおける「#MeToo」ムーブメントが定着し、さらに新型コロナの流行もあって、この数年間は多くの人が自分自身の生き方や多様性を、より深く考えるようになりました。そのタイミングだからこそ、日の目を見たホイットニーの物語という印象が僕には強いですね。

「ホイットニーのすべてを描く」

今回字幕監修をするに当たって気をつけたのは「シンプルな成功譚にならないように」ということです。影の部分を丹念に描かないと、光の部分の価値というのも正当に伝わらないんじゃないかなって思いました。アメリカのショウビズ界の空気を知っている人間としては、そのあたりのリアリティを字幕にも反映できるようにということで一生懸命やったつもりです。

 

制作に関わったクライヴ・デイヴィスさんが「ホイットニーのすべてを描く」ことに注意したというふうに語っています。つまり、美談にしないというところから、残された我々は何か学んでいく。これが不慮の死を遂げたスターに対しての一番の供養になるのではないでしょうか。
今回字幕監修をするに当たって気をつけたのは「シンプルな成功譚にならないように」ということです。影の部分を丹念に描かないと、光の部分の価値というのも正当に伝わらないんじゃないかなって思いました。アメリカのショウビズ界の空気を知っている人間としては、そのあたりのリアリティを字幕にも反映できるようにということで一生懸命やったつもりです。

 

制作に関わったクライヴ・デイヴィスさんが「ホイットニーのすべてを描く」ことに注意したというふうに語っています。つまり、美談にしないというところから、残された我々は何か学んでいく。これが不慮の死を遂げたスターに対しての一番の供養になるのではないでしょうか。

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