全国第2位のお茶の生産量を誇る鹿児島県、その中でも一番の産地が南九州市。
平成19年に茶の栽培の盛んな知覧町、頴娃町(えいちょう)、川辺町の3町が合併し、市町村単位の茶の生産量は日本一を誇る。
温暖な気候によって育まれた一番茶を全国でもいち早く摘み取るのは、赤い乗用型の茶摘み機、摘採機。運転手ひとりの操作で一時間あたり20アール、およそ300キロの茶葉をノンストップで摘むことができる、茶農家にとってはまさに「夢の機械」。
かつてはたくさんの人の手で摘まれたお茶の葉、それを機械で摘むことはできないか?
農家が相談を持ちかけたのは地元頴娃町の修理工場松元モータースだった。
創業者の松元芳見さん(83)は、昭和31年から開発を始め8年後に可搬式を開発、それによって町の茶園面積はそれまでの2,7倍となった。しかしその機械に慣れてくるとその重さが問題に・・・。その後も松元さんは本業そっちのけで開発を続け、昭和44年に二人乗りの摘採機開発に成功、これは日本で初めての「乗用型茶摘採機」となった。
今では自動走行装置がついた一人乗りの茶摘み機が町の茶畑を走行し、茶畑と赤い機械が動く風景は、鹿児島茶の収穫風景としてすっかり定着している。お茶の一大産地を支える赤い茶摘み機、小さな町工場が生み出した夢の機械の物語とは。
平成19年に茶の栽培の盛んな知覧町、頴娃町(えいちょう)、川辺町の3町が合併し、市町村単位の茶の生産量は日本一を誇る。
温暖な気候によって育まれた一番茶を全国でもいち早く摘み取るのは、赤い乗用型の茶摘み機、摘採機。運転手ひとりの操作で一時間あたり20アール、およそ300キロの茶葉をノンストップで摘むことができる、茶農家にとってはまさに「夢の機械」。
かつてはたくさんの人の手で摘まれたお茶の葉、それを機械で摘むことはできないか?
農家が相談を持ちかけたのは地元頴娃町の修理工場松元モータースだった。
創業者の松元芳見さん(83)は、昭和31年から開発を始め8年後に可搬式を開発、それによって町の茶園面積はそれまでの2,7倍となった。しかしその機械に慣れてくるとその重さが問題に・・・。その後も松元さんは本業そっちのけで開発を続け、昭和44年に二人乗りの摘採機開発に成功、これは日本で初めての「乗用型茶摘採機」となった。
今では自動走行装置がついた一人乗りの茶摘み機が町の茶畑を走行し、茶畑と赤い機械が動く風景は、鹿児島茶の収穫風景としてすっかり定着している。お茶の一大産地を支える赤い茶摘み機、小さな町工場が生み出した夢の機械の物語とは。
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