PageTopButton

習近平政権3期目へ強まる個人崇拝「国民向け宣伝工作」を読む

中国では今年の秋、5年に一度の中国共産党大会が開かれる。そこで、習近平氏(=共産党では総書記、行政機構では国家主席)が慣例を破って3期目、つまりさらに5年間続投する可能性が高いとみられている。中国国内ではすでに習近平氏の功績を称え、個人を礼賛するキャンペーンが始まっているという。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長がRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で解説した。  

若い世代の視聴を意識した中国内政のプロパガンダ

ウクライナ紛争で「プロパガンダ」という言葉がよく出てくる。いわゆる宣伝工作のことだ。ウクライナ紛争ではロシア擁護とも思える行動を続ける中国が「そもそも、このような事態に至ったのは、NATO(北大西洋条約機構)の責任、とりわけNATOの中心・アメリカの責任が大きい」と国営メディアで繰り返している。これもプロパガンダのひとつだ。ただ、今回は中国の内政におけるプロパガンダについて話したい。

 

中国の内政の関心事といえば、今年の秋、5年に一度の中国共産党大会が開かれる。そこで、習近平氏(=共産党では総書記、行政機構では国家主席の肩書を持つ)が慣例を破って、3期目に入る、つまりさらに5年間続投する可能性が高いとみられている。すでに中国では習氏の功績を称え、個人を礼賛するキャンペーンが始まっている。

 

国営の通信社・新華社通信は5月末から、習氏の足跡(=若かりし時代から今日まで)を紹介するドキュメンタリーシリーズを連日配信し、ウェブ上でも観られるようにしている。メインタイトルは「足跡」、サブタイトルは「ひと筋の道を歩んで来た習近平」。特徴的なのは、1本あたりの長さが5分程度と短いことだ。これまでなら「これでもか、これでもか」式に、あれこれ功績を詰め込んで、長いものになるのが定番だった。一方で、今回は全50回の長期シリーズになると予告されている。

 

映像で訴えるのは、中国でも「活字離れ」が指摘される若者にスマホで観てもらおうと意図しているのだろう。動画のナビゲーター役として若い女性が登場し、微笑みを浮かべながら、案内する。アニメも挿入されている。これまた従来の「内容が硬い」「イデオロギーでガチガチ」といった社会主義国ならではのものとは、かなり違っているという印象だ。

ドキュメンタリーで触れられている習近平氏の足跡

習近平氏は1966年に始まった文化大革命の時に、北京から古都・西安で知られる陝西省の農村へ送られた。これは「下放(かほう)」と呼ばれる政策で、都市に住む青年を農村に送って農村の実情を学んだり、生産の現場を体験させたりするもの。習氏もへき地に赴き、15歳から22歳までの7年間を過ごした。ドキュメンタリーシリーズの第1作は、その農村で日々を過ごした「青年・習近平」を描いている。

 

例えば、貧しい食事。口にするのは、野菜や穀物ばかり。当時の生活を、地元民などの声とともに紹介し、習氏本人が映像に出てきて「どれもおいしかった。何か月も肉を食べることなどなかったですよ。裁縫など身の回りのことは全部、自分でやった」と語っている。

 

また「病気の時以外ほぼ365日、畑で働いたり、道路の建設にたずさわったりした。ノミにも悩まされた」という厳しい環境の日々。そんな中で「痩せた大地が、習近平を育てた父だった」「当時からリーダーとして、人々の中に溶け込んでいった」などとナレーションで紹介している。

 

続く第2回。これも陝西省での青春時代を描いている。「読書に没頭する習近平」がテーマ。食事の時も、羊を放牧している時も、片時も本を手放さなかったそうだ。深夜、習氏の部屋だけ小さな灯りが灯っていた、と。「翌朝、油の煤で、習近平さんの鼻の穴は真っ黒になっていた」という、彼を知る地元の人の証言も紹介している。そして「その経験が今日の最高指導者・習近平を生み、教育向上に情熱を傾ける習近平の原点だった」という構成だ。

個人崇拝のプロパガンダに多くの人は無関心

まさに個人崇拝にも映るプロパガンダ。一般庶民の多くは、関心がないだろう。習氏の時代になって、彼の思想や施策を庶民に教育・宣伝するキャンペーンはこれまでにもあったので「またか」という受け止めだろう。

 

ただ、共産党大会は今年10月か11月に北京で開催される。あと半年を切ったこの時期に、習近平個人の足跡、功績をたたえるドキュメンタリーの登場は、共産党党内に対しても「『習近平の続投、3期目突入』はすでに決定事項だ」と念押し=歯向かうな、という意味合いもある。

共産党の中央宣伝部トップを務めた習近平氏の父親

4月中旬、習近平氏が中国南部・海南島を視察した。新華社はその時の様子を、ストーリー仕立てで報道している。習氏の父親、習仲勲さんが1979年、海南島を訪れている。父はこの時、海南島を含む広東省のトップだった。北京の大学生だった息子の習氏も同行していた。当時はまだ発展が遅れていた海南島と習氏の縁はそこで生まれ、国家指導者となったあとは、海南島の成長に尽力したというストーリーになっている。

 

父親は、中華人民共和国の建国の立役者の一人。習氏の血統の良さをアピールしている。実は、この父親は中国建国後、共産党の中央宣伝部のトップを務めた経歴を持つ。きょうのテーマ「中国のプロパガンダ」を担うセクションだ。歳月が流れて今日、中国の最高指導者になった息子も、父親の経歴を辿るなかで、プロパガンダと、それを担うセクションの重要性を誰よりも知る、と言えるかもしれない。

 

中国共産党の中央宣伝部とは、党の思想や路線の宣伝、教育、啓蒙を担当する。国内の新聞出版物テレビ映画インターネットなどメディア全てを監督する。メディア上層部の人事権も握っている。現在の中央宣伝部のトップ、黄坤明(こう・こんめい)氏は習氏の地方勤務時代の部下で付き合いは四半世紀になる側近だ。習氏によって地方から中央に引き上げられ、2017年、中央宣伝部長に就いた。共産党中央の要職・政治局委員にも登用されている。習氏の信頼が厚く、身内といってもよい。

 

信頼できる部下のみを、重要なプロパガンダ部門に据えて、派手な宣伝を続けさせている。彼らは「情報戦」ともいわれるウクライナでの戦争も、プロパガンダの重要性をじっと見つめ、参考にしているだろう。

 

ただ、やり過ぎると反発も出てくるだろう。人の心を縛るプロパガンダは、一方で、人の心を離反させる。共産党内には当然、掟破りの3期目続投に、批判的な勢力もある。共産党大会まで、ゼロコロナ政策などで失点すると、さらに習氏への不満が高まる可能性がある。そんな動きを封じ込めようとするのが、一連の個人崇拝。一方でそんな手法に反発もある、という構図だ。

 

冒頭で、習氏が10代~20代、へき地の寒村で青年期を過ごしたと紹介した。実はこの時、党の指導者の一人だった父親は政治闘争に敗れ、16年間も投獄や拘束されるという迫害を味わっていた。中央宣伝部のトップを務めた父親が、である。父はのちに復活したが、権力、とりわけプロパガンダ部門を支配することの重要さを、誰よりの知るのが習氏だろう。いま、行われている個人崇拝など宣伝工作の背景には、習氏の原体験が存在するような気がする。

飯田和郎(いいだ・かずお) 1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう