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リアル『下剋上球児』高校野球の名将・迫田穆成監督が伝えたかったこと

高校野球の監督を鈴木亮平さんが演じる日曜劇場『下剋上球児』(TBS系)が人気だ。弱小チームが勝ちあがっていく王道のストーリーだが、それを体現したような監督が12月、84年の生涯を閉じた。その最後の肉声を125日、RKBラジオ『田畑竜介Grooooow Up』に出演した神戸金史解説委員長が伝えた。

高校野球で「名将」と称えられ

TBSのドラマ、日曜劇場『下克上球児』を毎週楽しみに見ています。高校野球の弱いチームが勝っていく、王道のストーリーなんですが、それをまさに体現したような監督がいます。広島県立竹原高校で野球部の監督を務めていた迫田穆成(さこだ・よしあき)さんです。

その迫田さんについて書かれた本『83歳、最後のマジック 生涯野球監督 迫田穆成』(ベースボールマガジン社、税別1800円)を紹介しようと思い、迫田さんの近況を確認したら、121日にすい臓がんのため亡くなっていて、本当に驚きました。

迫田さんは、広島商業高校で主将として甲子園全国制覇、それから監督としても全国制覇を果たしています。その後、1993年には三原工業高校(現・如水館高校)の監督に就任、8回も甲子園に出場。生涯で14度の甲子園出場を果たしています。

孫世代に伝えるYouTube

迫田監督は、孫と同じ世代の選手たちに指導していく中で、YouTube「迫田監督野球チャンネル」を開設して動画を出していました。115日が最後の更新でした。秋の広島県南部地区1年生大会で竹原高校が優勝しました。迫田さんは体調を壊したようで、直接指揮はできなかったのですが、指導方法を熱く語っていて、「次は甲子園に出られるようなチームにしたい」と話していました。

迫田監督野球チャンネル「1年生大会やったー」(115日更新)

https://www.youtube.com/watch?v=7ocfEmCvxw8

 

迫田監督:はーい、こんばんは。お久しゅうございます。ちょっと体調崩しとるけ、こんな格好しとるんですが。

私の野球は、「点をやらない野球」なんです。どういうことかと言いますと、「全国からいい選手を集めてガンガン打たすんだ」「ピッチャーもおるんです、大丈夫です」、そんなことじゃなくして、好きな人を集めて、そして何とか鍛えて、で勝ちます、と。

「なるべくなら、後攻を取りなさい」と。後攻を取る理由は、1回表を0にすれば、その裏を3三振であろうと、判定負けはないんですよね。だから、「2回も0でええよ、3三振でええよ」「3回もそうでええよ」と。相手が段々とムードの中へ入ってくれるんですかね。そういう中で、少しの点でもって勝つような野球を目標としとるんです。

これが、亡くなる1か月弱前です。まだ元気にお話されていました。

「対戦相手に重圧をかけ負けに追い込む」

迫田監督を知ったのは、JNN系列局の仲間、広島の中国放送(RCC)がラジオ番組『生涯野球監督 迫田穆成~終わりなき情熱から』を制作・放送し、文化庁芸術祭賞で大賞を受賞したことがきっかけです。番組の一部をお聴きください。

迫田:例えば、プロ野球の山本浩二さんからちょっと教えてもらっても、分からんです。私が分からんのに、子供に言うて分かる訳ないんです。野球人は「プロの一番うまい人に聞けばええんじゃないか」と言うけど、それよりか、野球を離れた、合気道の先生や病院の先生とかお寺の和尚さんがいい話をしてもろうたら、私は話ができるんですよ、生徒に。それが分かって野球をやってくれたら、すごくいい選手になる。ごまん(といる)の観衆の中でも通用する、精神力のある選手になる。そこらが一番大事。ええ選手を集めて、自分よりうまい奴を教えてもしょうがないですよ。

お話を聴いているのはRCCのアナウンサー、坂上俊次(さかうえ・しゅんじ)さん。このラジオドキュメンタリーの取材、構成を担当しました。坂上アナのナレーションをお聴きください。

坂上アナ:高校野球では、選手が成長途上のためすきがあるし、異常なプレッシャーがかかる。特に甲子園での試合は、とてもじゃないが平常心を保てない。ならば、勝ちパターンを作るより、相手に重圧をかけ負けに追い込む方が勝機が広がると考え、緻密で創造する野球を探求した。

江川卓も止めた! 「迫田マジック」とは

緻密な作戦で強者を圧倒する戦いは「迫田マジック」と呼ばれ、高校野球界での存在感は絶大だったそうです。監督として出場した1973年のセンバツ甲子園準決勝で、相手は作新学院の江川卓投手。すさまじい投手だという評判で、実は甲子園に出場が決まる前、半年も前から「当たったらどうしようか」と、“江川練習”と称して毎日1時間対策をやっていたそうです。

 

そしてこの試合、たった2安打で20で勝ってしまうんです。その攻略方法がラジオ番組では詳しく語られていて、とても面白かったです。江川さんの連続無失点記録を139回で止め、1対1で迎えた82アウト1・2塁からダブルスチールをかけて、相手捕手の悪送球で決勝点を奪っています。

 

つまり、打てないのであれば、塁に出てミスを誘って点を取れば勝てるんじゃないか。その通りに勝ってしまった。これが「迫田マジック」と言われるゆえんです。

弱小野球部の監督として

2019年に80歳になったあとも、竹原高校野球部を率いました。選手は11人しかおらず、その中には野球初心者もいました。まさに日曜劇場『下剋上球児』みたいな学校だったのですが、2022年の広島大会でベスト16に躍進させました。

坂上アナ:そして2019年。80歳にして竹原高校野球部監督に就任した。竹原高校は全校生徒およそ150人の、小さな県立高校だ。就任初日、あらかじめ覚えてきた一人一人の名前を呼び、選手との距離を一気に縮めた。当初の合言葉は「コールド負けをなくそう」だったそうだ。迫田監督は、吉本陸翔投手にも大きく影響した。

 

吉本投手:僕は、野球というのはホームランやヒットをたくさん打って点を取るものだと思っていたんですけど、監督さんの野球は点を取るんじゃなくて「守りに行く野球」。0点で抑えたら絶対負けはないじゃないですか。そういう考え方に変わりました。

 

坂上アナ:新型コロナの影響で部員とのコミュニケーション不足になる中、ラインを使って部員とコミュニケーションを図ったり、長女のサポートでYouTubeで技術論を発信したり、今の子供たちに合わせた指導方法も採り入れた。

 

迫田監督:市民は「早く勝ってほしい」というのがあるんですけど、「まあ、もうちょっと待ってください。まだ難しいですから」と。ますます私のプラス志向が強うなって。「グラウンドの上で死にたい」と言いよったのが実現できるのじゃないか、と思うてね。ものすごく自分で楽しんどるんですよね。

 

書籍とYouTubeで知る名将の言葉

『最後のマジック』には、竹原高校で甲子園に出場するという目標を立て、これを叶えようとする監督の姿が書かれています。1年生大会で優勝を果たし、この夢は生徒たちに引き継がれるのでしょうけど、「生涯野球監督」であることは達成しているわけです。

 

子供たちは本当に慕っています。監督は私(神戸)の父親と同い年です。その世代が、私の子供より若い年齢の高校生を指導してきたというのはすごいこと。本当に生きる『下克上球児』の監督みたいな方だったんじゃないか、と思います。

83歳、最後のマジック 生涯野球監督 迫田穆成』(ベースボールマガジン社、税別1800円)は、迫田監督のドキュメンタリーを制作して、文化庁芸術祭賞大賞を受賞したRCC中国放送の坂上俊次アナウンサーさんの著書です。

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この記事を書いたひと

神戸金史

報道局解説委員長

1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。